Create the division between ART or DESIGN

アートとデザインを完全に分断して捉えるやり方が自分には合っていそうだという話です。

「完全に分断」なんてできないですよ、と諭されそうだが、ここで重要なのは結果ではなく取り掛かる前の意識、もっと言えば人生の中で芸術をどう扱っていくか覚悟を決めることなのだ。

ずっと悩んで(考えて)いたこと

以下の過去記事があるように、「アートとデザインをどう扱うのが自分には合っているのか」「芸術活動は平穏な精神と両立できないのではないか」といったテーマについて、6年ぐらい前、専門学校に通っていた頃から考えていた。

子供の頃から20歳くらいまでは、ただただ楽しくて夢中で絵や漫画を描いていたのに、「仕事にする(かもしれない)」と意識し始めた途端、ほとんど全く楽しくなくなってしまった。手を動かしている時の作業興奮はあるものの、フロー状態といえるほどの没入感や、描いている途中に独りで笑い出してしまうような愉快さは消えた。

また、仏教に触れることで精神がだいぶ穏やかになりつつも、20歳頃の自分が笑ったり泣いたりしながら絵を描いていたことを根拠に、「精神的安穏と芸術活動はおそらく対極にあるのだ」と、すなわち “人生のドラマが終わった” 私には、もう芸術活動はできないのかもしれない、もはや自分の才能は枯れてしまったのかも知れないと半ば諦めていた。

その状態はデザイナーとして就職した後もずっと続き、辛いわけでは無いのだが、自分の納得のいくものが作りたいのに作れないもどかしさが常にあった。

夫、親友、母親いわく

私の夫は心理学や哲学に興味があり、日常的に意見交換をしているのだが、そういった話をする中で「ACT (アクセプタンス&コミットメント・セラピー: acceptance and commitment therapy)」なる心理療法を教えてくれた。ACTで最も重要な概念は「(自分の人生における)価値」で、僕はその価値を探しているのだという話の流れだった。

その時は「べつに仰々しく価値など設定しなくても、どうせ人間の考えというのは変わっていくのだから、その時その時でよいと感じる方を選べばいいではないか」と思った。この考えは間違ってはいないが、ACTでいう「価値」を設定することもまた、便利で生きやすくなる良いやり方だった。

しばらくの期間を経てACT話が再開した時、「客観的に見て、僕の大事にしていそうな価値はなんだと思う?」と聞かれた。少し考えてから2つの価値を回答したが、本人の自覚はまったくなかったらしく驚いていた。そこで「じゃあ、私の大事にしていそうな価値は何に見えるんかね」と聞いてみた。自分では、冷静さや寛容であることかと思ったが、答えは別次元の核心を突いたものだった。

「 “芸術に対するこだわり” かな。芸術とは何なのかよく考えている。好きなメタルバンドについても、絵やデザインについても、何でも自分の中に芯がある」

その答えを聞いた時、「なんじゃそりゃ!そうかなぁ?」と笑ってしまった。しかしその後シャワーを浴びて湯船に浸かっていると、この答えに「なんじゃそりゃ」となってしまったのは、的外れだからではなく、私にとってあまりにも当たり前で言語化したことも無かったからであると気付いた。

言われてみれば、昔からそんなことを言われていた。中学の卒業式では、学年主任の教員に「(苗字)は一見クールだけど、熱いモン持ってるね」と評されたし、習字教室の先生は「この子はなんだか他の子とは違うのよ」とニコニコしていた。そうなのだろうか、と自覚はなかった。しかし今思い返すと、どうも私という人間は昔々の大昔、たぶん小学生の頃から「周りに合わせて、自分が納得できないこと・いいと思わないことをしていたって、何の意味もないじゃないか。他人にどう思われようと、私は自分が正しいと思うことをするぞ」こんな感じの精神性を常に持っていたように思う。そんなだから小5くらいから同級の女子に仲間はずれにされていたが、だから寂しいとか仲間にしてほしいとは一切思わず、むしろ「あんな自分のないやつらと一緒にいるくらいなら独りの方が数倍マシだ」ぐらいには感じていた。

そうだったのかぁ、と納得したので、同じ質問を親友にもしてみた。その答えはなんと夫と全く同じ「芸術に対するこだわり」だった。これにはかなり驚いた。「専門学校時代、自分の芸術や好きなものに対する気持ちをどう表現するのが良いかを、いつも考えていた」ように見えたそうだ。確かに私の卒業制作のテーマは「ヘヴィメタルの歴史と分類」だったが、自分の中ではあくまで「好きなテーマで最後の課題を楽しんだ」くらいの重みだったのだ。

念のため母親にも聞いてみたら「頑固ではないのだけど、その上で自分らしさを諦めないこと」ときた。うーむ。こんなことがあるのだろうか。こんなにも私という人間は、親しい人物から見ると「アーティスト」なのだろうか。

かつての分析

「楽しんで描くのが一番だ、楽しんで描こう」という考え方があるのは知っているし、そうしてみようと試みた。しかし、「楽しく…」の周りから「上達したい、上手くなりたい」「仕事にするんだ」がどんどん湧いてきて、「楽しく?それは楽したいじゃないのか?」と覆い尽くし、いつの間に楽しくなくなってしまう。

この過去記事は専門学校に入学する前に書いたもの、つまりデザインを学ぶ前の感覚である。当然デザインとアートの違いも言語化して認識はしていなかったが、「仕事にする≒デザイン領域」であることは感覚的に分かっていて、だからこそデザイン専門学校に進学したのかも知れない。ちなみに私の通っていた専門学校はかなり実用的なタイプで、入学初日から「デザインとアートは別だからな」と何度も言われた。

かつては楽しかった創作活動が、仕事になると知った瞬間につまらなくなってしまった。これは私の人生においては非常に重要な問題であったので、このようにいくつも記事が書きあがるほど考え続けていた。

しかし、今になって思うと、やはり社会に出て経験を踏まないとどうしても掴めない感覚がある。想像力のある人間であれば、ある程度のイメージはできる。しかしそれは例えるならば、江戸時代の人が飛行機を見て「あれは鳥の機構を模したからくりではないか」というところまでは推測が及んだとしても、鉄の塊に何百人も乗ってバテレンの国まで七刻で飛ぶなどといった具体的事実にまでは辿り着けない、そんな感じである。

アートとデザインを完全に分断する覚悟

現在私はデザイン会社に勤めており、制作業務はもちろんだが、後輩を育てたり同僚に仕事を振ったり客先に打ち合わせに行ったりと、まあまあ頼りにされていると感じている。まったく無名のデザイナーだが、「デザインの仕事でちゃんと認められているのだ」と実感できており、自信もついている。これくらい経験があるから、たとえ今の会社がだめになっても必ず別の会社に入れると確信している。

ここまで来て初めて「自分の芸術(=趣味)は、仕事から分離させても大丈夫」つまり「自分の芸術で報酬を1円も貰えなくて構わない」と思えるようになった。生活を維持するための基盤がしっかりしていないと、「日銭が入る可能性があるなら、念のため万人受けに寄せておこう」となってしまう。ワンチャン狙いで中途半端になってしまうのだ。何が中途半端かというと、アートとデザインのどっちなのか腹を括れていないのである。「これは仕事なのだ」という責任感もなければ、「これが私の芸術だ」という狂気もない。

当たり前すぎて気付かなかった「最大の価値」を遂行するために、私は仕事のデザインと趣味のアートを完全に切り離して考えることにした。仕事のデザインに個人的な好み(≒アート)が滲むことはある。それは構わない。しかし趣味のアートには、仕事的デザイン要素を1滴も入れてはならないのだ。1滴でも入ったら、アートではなくなる。そのためには、絶対に仕事にしてはいけない。一度でも儲かってしまったら、目先の金に眩んで売れるものを作りたくなり、そうなるともう完全にデザイナーだ。複製印刷したものを販売するなら利益が出てはならないし、原画の値札は「そんなに欲しいなら、負けたよ、持って帰っていいよ」という「買われないための額」にしなければならない。そして万一富豪に買われても絶対に「お買い上げありがとうございます」などと言わず、ただちに全額寄付すべきだ。大事なのは「芸術を護るため、金は受け取らない」と覚悟を決めることである。そのためには、毎月しっかりとした仕事をして、生活を支える必要があるのだ。

鳩の羽ペン

【描く軍】「作品を発表したい」「新しい表現を試したい」

【描かない軍】「怠けたい」「無駄なことはしたくない」「べつに描けなくても問題ない」

この過去記事では、以前のように精力的に創作活動ができなくなった自分について「欲望」という視点から考えている。別ベクトルの欲望同士が戦った結果「する」方向の欲望が強ければ、その行動を起こすのだろう、そんな分析をしている。

しかし、今の心境を同じ形で表現するなら、このようになるだろう:

【描く軍】

【描かない軍】

…書き忘れたのではない。両方とも、「ない」のだ。もはや、闘う必要がないのである。

特に作らなくていい。もし作りたい時が来たら、その時だけ好きなように作る。もはや作品を出すことにも、出さないことにも、同様に価値がない。だから安心して作ることができる。

精神が健全になるたびに、私の内にあった「何か大切な美しいもの」―固執、幻覚、不幸- 未成年の感覚は、どんどん抜け落ちていった。もうその羽根を挿し直すことはできない。否、「元に戻りたい」と思うことすらできない。固執をやめ、幻覚を見ることをやめ、不幸に浸るのをやめると、幸福に近付く。大人は美しくないが、幸福だ。私はすっかり大人になったのである。

ずっと悩んでいた「芸術活動は平穏な精神と両立できない」という帰結は、真実の一側面だった。その裏側には「平穏だから芸術活動ができる」という側面があり、そしてそこには——かつて自分に生えていた羽根が落ちていたのだった。