仕事と趣味の違い(ゆっくりやると楽しい)

先日の気付き(仕事と趣味を完全に分けるのが私には合ってる)を念頭に置いて生活している。やはり「(ACTにおける)価値」を定めると、その立場を意識することで初めて気付くことがあるようだ。

仕事と趣味 最大の違い

仕事と趣味の最大の違いは、締切の有無だと考える。とはいえ、仕事には締切が100%あって趣味には絶対にない、というわけでもない。ここで大事なのは厳密な分類ではなく、自分がやっている事はどっちなのか判断し、その分類に沿ったやり方に近づけることだ。

締切がある趣味は、例えばコミケにマンガを出すとか、バンドのライブを見に行くといった、主催者(他人)が日付を指定していて、自分がそれに合わせないといけないものだ。締切が少しあるのは、魚釣り(季節によって魚が変わる)とか、旅行(連休を目掛けて計画する)などの自分で日付をある程度前後させられるものだろう。締切が全くない趣味は、ただ絵を描くとか、ただネットサーフィンするなど、日付の指定が無いものである。

逆に締切がない仕事といえば、やっておくと後で楽になることである。それ以外の全ての仕事は、緊迫感の程度はあれど必ず締切が存在するし、その納品日を自分の都合で変えることはできない。

おそらく私は(多くの人も?)、締切がないと全然集中できず物事が進まないタイプである。だから、会社では頑張って仕事をしていても、特にやることがなければ家ではダラダラしている。

やることがないけれども、なんとなく何かしたい気もするので、例えば料理でもしてみようかと腰を上げるのだが、どうもあまり楽しくはない。自分の意思で業務時間外にやるのだから趣味のはずなのに、何故楽しくないのか?それは、料理を仕事として認識していたからである。言い換えると、料理という行為を「締切があって、効率的にこなすべきもの」と思っていたのだ。

ゆっくりやると楽しい

例えば食事をしながらテレビやスマホを見たり、時間に追われて急いで食べると、意識がニュースや時間に行ってしまい味がよくわからなくなる。テレビもスマホも消して、黙々とゆっくり料理に向き合うと、味が分かるようになり美味しく感じる。

これと同じことが、趣味の絵描きや料理でも起きた。「〇〇時間くらいで描き上げたい」「料理に1時間かけたら、食べ始めは〇〇時で、食べ終わってから寝るまでの自由時間は〇〇時間だ」「この食材を次はどう調理すれば無駄なく効率的か」…などと考えながらやるのは、仕事と全く同じ感覚である。やり方が仕事なのだが「これは趣味のはず」と思ってるので、「趣味なのに楽しくない→私は趣味を楽しめなくなってしまった→鬱病ではないか?or年齢のせいか?」などと、誤った前提を元に考えが進んでしまう。

これを「誰にも見せずに、ゆっくり描く」「時間がかかっても、廃棄食材が出ても構わないので、丁寧に作る」という考え方にしてみたところ、無事楽しむことができた。

さらに意外なことには、「廃棄食材が出てもいいや」と思ってあまり深く考えずに食材を買うと、結果的に良い感じに「あるもので作る」ができるようになった。ガチガチにレシピを決めてから買いに行くと、売り切れていたり高くなっていたりして予定通りにいかず、精神的に疲れる場合も多いので、その日安くなってるものを適当に買う方が良いのだった。

時短は正義か?

「時間がかかっても、ゆっくり丁寧にやる方が楽しめる」と分かると、「時短」を賞賛する現代社会は仕事(生産性)のことばかり意識していると気付く。仕事だと思って効率を追うと楽しくなくなるのは、前述した通りである。

「家事を趣味にすればいいんだよ」は頓珍漢なお節介発言の代名詞だが、言い方が雑なために誤解を招いているだけで、よくよく考えてみればあながち間違いとも言えない。丁寧に言うと「家事は効率的に片付けるのが正しいという思い込みを捨てて、ゆっくり丁寧にやると、一つ一つの作業に対して楽しい気持ちが生まれる。急いで家事をした後にゲームをやるよりも、一つ一つの家事に向き合って、もっと美しくできないかとか、美味しくできないかなど、品質に目を向けると、家事を趣味にできる」こんな感じになる。まあ人には向き不向きがあるから、こんなこと考えなくても家事が好きな人もいるだろうし、逆にどんなに意識を工夫してもどうしても苦手という人もいるだろうし、キャリア構築の真っ最中でできるだけ家事をしたくない人もいるだろう。

レシピサイトで調べても、SNSを見ても、今は時短が非常に流行っている。あまりにも「早い、安い、美味い」が多いので、それが料理のスタンダードのような気がしてしまうし、「共働き家庭は時短が第一」が正しいという雰囲気が流れていると思う。

料理はまだしも、イラストのテクニックは「3分でクオリティアップ!」「誰でも簡単に描ける」だし、スマホゲームも放置が大事らしい。時短にはなるのだろうが、果たしてそれで幸せなのだろうか。

趣味を趣味らしく行う

週に5日、一日8時間以上も働いているうえ、仕事は頑張れば評価される。だから頭にとって仕事モードは気持ちいい。そしてそのまま帰宅して、自由時間も「〇〇時までに××しなければ」という感覚で過ごしてしまう。この状況を緩和する方法は今すぐには思いつかないが、趣味のことをしている時は「仕事は終わりです。自由時間ですよ」と意識する回数が増えていけば良いと思う。


私は私の思念の赴くままに(=あらゆる全てを構成する者の仰せの通りに)、ぼんやりと流れていくのみである。世の中で正しいとされている事や、近しい者が正しいと信じていることについて、特にどうもしない。なぜならそれらもまた、仰せの通りにさせられているだけだからである。