性的少数者への「理解」とは何か

最初に書いておきますと、私はいわゆるFTXのバイです。つまりLGBTでいうとBとTに当てはまります。

ということで、この記事では「LGBTへの“理解”って一体なんなの」という方々に、「こういうことです」と説明します。

いつものことですが、個人的な意見ですから、「私はこんな風には思ってないぞ」という性的少数の方もいると思います。それはしょうがないことです。

「ふつう」扱い

「私のことを理解して!」と言われると、意味合いとしては「同情してくれ、何か耳触りの良い事を言ってくれ」という風に聞こえます。しかし、LGBTを始めとした性的マイノリティの人々は、べつに同情してほしいわけではありません。むしろ逆です。「ふつう扱い」してほしいのです。

「ふつう」とは何か?それは「処理の仕方を知っている」ということです。「慣れてる」とも言えますが、知識なり経験則なりで、「平静に扱える」ということです。風邪はふつうに治るけどガンは危険だというのは、風邪なら自力で3日くらいで治せるから平静に処理できるけど、ガンは簡単には治せないから怖いのです。

たとえば、ある人物が「同性愛者って、同性なら誰でも襲うんでしょ?怖い!」と思っているとしたら、同性愛者について「知っている」状態ではありません。それは間違った思い込みです。そこでもし同僚が「実は僕は同性愛者なんだ」とカミングアウトしたら、「え?!私を襲うなよ!」と身構えてしまうのですが、実際はほぼ襲われません。

「ふつう扱い」できないとは、ふつうに起こる事象として平静な処理ができない、こういう状態です。

私の考え方のひとつに、「世の中は、数の大小でできている」というのがあります。価値観なんて数比べの結果に過ぎない、みたいな感じです。

性的「少数者」といいますが、もし地球の歴史がちょっこっとズレて「同性間でツガイになるのが ふつう」という世界線になっていたとしたら、今ごろはストレート(心と身体の性別が一致していて、異性を好きになる人)の方が「性的少数者」になって「異性愛者って、異性なら誰でも襲うらしいぜ!」「怖い!精神異常だ!」って、なっていたかもしれないわけです。または、私は五体満足ですが、もし「右腕がないのが ふつう の世界」に生まれていたら、「こいつ、腕が2本も生えてる!おかしい!」と言われたかもしれません。まあ実際は違うことになりましたが、ようは、ちょっと世界線がズレて数の大小が変わっていれば、どっちが差別されていたかはわからない、ということです。多数派であること=真善美、ではない。もっと言えば、諸行無常、価値観は時代とともに変わるものなり、人間という動物の種族も進化の途中、、、です。

「確認」をすればいい

話を戻しますが、性的少数者の人が「私たちのことを理解してね」と言ってきたばあい、それはおそらく「正しい知識をつけて、不必要に怖がったりしないでね」とか「これからの時代、男女のジェンダーの枠にとらわれないのがいいと思う」という意味合いです。語義のまんま、こいつはこういう奴なんだな〜、こういう価値観なんだな〜と「理解」言い換えれば「確認」をすればよくて、「理解して」という言葉の響きから「同情」や「共感」「特別扱い」はしなくてよいのです。

で、その考えに賛成できたり、その友達ともっと仲良くなりたいということなら、詳しい話を聞いて対応や考え方について学べばいいです。逆に価値観がどうしても合わなければ、べつにその人から離れてもいいのです。これはLGBTとか以前の人間関係の問題です。

説明してもどうしても合わない人はともかく、説明したら理解してくれる人まで「不必要に怖がって」いたらお互いに不利益なのです。啓蒙活動も、最近になって「流行り始めた」のではなく、歴史の中で同性愛者差別に抵抗をしていた人々はもっと前からいました。インターネットの力で若い人に拡散したんだと思います。

そういうわけで、性的少数者の人に「理解してね」とか言われたら、とりあえずwikipediaとかLGBTの情報サイトとか本を見て、勉強したらいいと思います。それで「ちょっとLGBTについて調べたよ」と言ってくれたら、私ならとても嬉しいです。それだけでその人の信用がグンと上がります。

で、もし勉強したくなければ、しなければいいと思います。ただ、社会の流れは「理解する方向」になっていってるみたいですので、そのへんは自己責任というか、算数や社会科を勉強しないのと同じです。べつに共感はしなくていい(というか、できない)ですが、知識を入れておくことはオススメします。なぜオススメかというと、無駄に怖がらなくて済むし、ちょっと勉強しないと分かりにくいテーマだからですね。算数が一切できない状態で、店員に「商品が3点で、1000円です」と言われたら「本当に1000円か?実はぼったくりでは?」と疑ってしまいますが、そういう無益な諍いを避けるためです。