自分のこれからについて考えるの巻

今回は瞑想や仏道は関係のない、ふつうに「どう生きようか?」みたいな事考えます。

私は何か良くない感情…たとえば依存心、嫉妬心、など…が現れてきた時、「自分の心を改善せねば!」と直感的に感じます。自分という人間をもっと“良い感じ”に変えてみたいと、なんとなく思うのです。多分、「ここが改善したら、どんな感じがするかな?」という好奇心です。自分の精神はもっと高みに…いやいや、まだマシに変われるはずだ、もっと快適な精神で在れるだろう、ということで、しょっちゅう「あっ!依存心だ。これは人生において重要な問題なので、しっかりと向き合うべきだ」「あっ!嫉妬心だ。どういう仕組みで発生しやがるのか、確かめたい」…などと、いろいろ思うわけです。

で、いろいろ考えるのですが、結局「最終的に行きたいところ」が分からないことには、改善のしようがないんじゃないかと、ふと思ったんですね。私自身のことを省みても、あっち行ってみたり、こんなことしてみたり、とフラフラなものです。「手当たり次第にチャレンジしたい」という結論が出てそうしているのなら良いですが、無意識でフラフラなのは非効率なだけですね。

「改善」と一言で言ってもなんとなく意味がありそうですが、「なんとなく良い感じ」というのでは「世間一般に評価される方」という意味です。それでは困りますね。これも、「世間一般で最高に評価される者になる」と結論付けて目指すのなら何も問題ないですが、なんとなく「改善した〜い」は無意味です(アンタ今までの記事で散々「この世の全ては無意味です」って言ってるじゃん、というツッコミは承知しています)。我々の人生の目的は、そんなしょうもないことではありません。

せっかく人間に生まれてきたんだから、もうちょっと自分の頭で考えたいですよ。

というわけで、「私が最終的に行きたいところ」について、書いていこうと思います。

もちろん、いつもと同じく「現時点での」考えです。私の人生は、おそらく(理想的には)あと2/3程度残っているので、その中で目標が変わるのは何ら不思議ではありません。

どんな生活を送りたいか

いきなり「どんな人間になりたい」という話をするのは、ちょっと抽象的すぎる。ということで、具体的イメージのしやすい「毎日の生活」にスポットを当ててみようと思います。頭の体操、ウォーミングアップですね。

といっても、急には出てきませんでした。そこで、もっと書きやすい事から考えます。ずばり「どんな生活は絶対したくないか?!

これなら書けますよ。

  • 仕事ばっかりで、趣味や遊びの余裕がない
  • 配偶者や子供や親の面倒を見続けて余裕がない
  • 配偶者や上司にボコボコにされる
  • 有名人としてチヤホヤされる、いつも褒められる
  • 毎日、喜びに満ちたキラキラの文章や作品を発信する

下二つは良い事のようですが、私は嫌です。

さて、嫌な事が分かったので、これをヒントに「ぜひしたい生活」を考えていきます。

  • 趣味や遊びの時間がちゃんとある。仕事自体はしてもいい
  • 周りには、自分をボコボコにしてくる人がいない
  • 邪悪な文章や作品を作り、基本放っておかれ、ときどき褒められる
  • 週に2-3回は、回転寿司に行く

こんなところですかね。これらを達成するやり方については、最後の方でまとめて考えようかと思います。

「嫌な生活」2番目の「配偶者・子・親の面倒見続ける」の反対は「独身で、親へ援助はしない」ですが、これはちょっと難しい。というのは、結婚や子育てというのが人生において最大の勉強になるであろう事は想像に難くないし、「自分の老後の金は自分で用意してください」とはいっても、養育費、特に専門学校の学費を出してくれた恩はあるわけで。学費を出させておいて全く還元しないというのはどうかと思います。

過去記事「情熱は如何にして燃えるのか?」で書いたように「複数の欲求が戦っている状態」です。「独身は快適そうだが(楽に生きたい)、結婚や子育てで勉強したい(人生の学びがしたい)」と、「親の面倒見たくないが(金銭的にも精神的にも楽でありたい)、見ないのは道義的にどうかと思う(義理ある人間でありたい)」ですね。

更に、結婚と親は大人同士の話ですからともかくとして、子供については「自分が勉強したいから」という理由で育てていいものか、という問いが残ります。

配偶者にしろ子にしろ親にしろ、自分ではないのでコントロールはできません。コントロールできないことによるリスクを重く見て色々やめるのか、その不確定さやリスクを受け入れた上で覚悟して行くのか、この辺の判断をこの記事の最後らへんで定めていきたいところです。

一般的に「どんな生活がしたいか」といったら、「どんな土地に、どんな家を建てて、年収はいくらで、車は何で、どんな仕事して」というのがくっついて来るかな?と思いますが、私はそのへんはあまりこだわりがありません。強いて言うなら、チルボドのライブに行ける距離で、チルボドのライブに毎回行ってポケモン新作買える程度の年収、、、それぐらいですね。移動のしやすい借り家がいいと思ってますし、車もあんまり興味がない。それより精神面の安定を求めます…あ、家の中に虫が出るのは怖いです。

人生に何を求めているか

これは難しいですねぇ。いきなり「オリジナルな答え」は出せません。そこで、参考としてタロットカードから抜粋+@して、いいかんじの単語から探そうと思います。

自由、旅、遊び心、個性、独創的、もの作り、楽しさ、出会い、発見、直感、挑戦、ロマン、恋人、結婚、子供、家族、信じる、愛嬌、協調性、社交的、人情、友情、希望、金、腕力、実力、権力、自信、行動力、決断力、完璧、理想、プライド、正義、誠実、対話、理解する、広い心、客観的、中立、マイペース、純粋さ、賢い、分析力、思考力、知恵、好奇心、問題解決、節制、忍耐、辛抱、努力、成長、慎重、安定、安心感

だいぶ出てきましたね。さて、この中から、とりあえず「いいっすね」と感じるものを10個選んでみますよ。

自由、発見、行動力、正義、誠実、広い心、中立、思考力、好奇心、成長

ちょっと迷いましたが(最初18個選んだ)、こんな感じになりました。なんか、ぼんやりと見えてきましたね。私が人生に求める雰囲気が。

文章に直しますと、

「好奇心を持って自由に行動し、思考によって発見・成長。誠実で広い心を持ち、正義と中立を守る。」みたいな感じです。

でも、これだと覚えにくいですね。3つぐらいには絞らないと、指針とするには複雑すぎます。ということで3つに絞ってみます。

正義、広い心、成長

今度はすぐ選べました。これなら、日常生活の中でも指針にできそうです。

で、表題の「人生に何を求めているか」という表現に合わせると、

「人間として正しい行いをすること」

「他者の失敗や、異なる価値観を受け入れる心を持つこと」

「人生を通じて人間的に成長すること」

ということになりますね。

上二つには、見えない目標「(その結果、人々から感謝される)」とかがくっつく気もします。これは自分ではコントロールできないので、もしかすると目標に据えるべきではないのかもしれません。まあ、やってみますが。

あと、これまで出ませんでしたが、冒頭のように依存心や嫉妬心を改善したいと思うことは、つまり「弱い心が少なく、精神的に安定していること」も実際に目指したい姿なんですね。

悪くないと思うんで、とりあえずこれらを一つの指針にしてみようと思います。

どんな人間になりたいか

前項で出た「指針」を具体的な行動に直せば、「なりたい人間」が導かれますね。

  • 「人間として正しい行いをする」

困ってる人がいたら助ける。誠実である。

  • 「他者の失敗や、異なる価値観を受け入れる心を持つ」

相手の話を否定せずに聴く。他人を責めない。

  • 「人生を通じて人間的に成長する」

成長できると踏んだことにはチャレンジする。

  • 「弱い心が少なく、精神的に安定している」

己の弱さと向き合い、原因を探って対処する。

今から意識付けできることなので、さっそくやってみます。でも、なんか無理があったりしたら、一旦止めたりするでしょう。

 で、何すれば近づけるのさ?

ここ肝心ですね。

前の方に書いた「ぜひしたい生活」を達成し…

  • 趣味や遊びの時間がちゃんとある。仕事自体はしてもいい
  • 周りには、自分をボコボコにしてくる人がいない
  • 邪悪な文章や作品を作り、基本放っておかれ、ときどき褒められる
  • 週に2-3回は、回転寿司に行く

前項までで導かれた「人生に求めていること」「なりたい人間」に近づく…

「人間として正しい行いをする」
→ 困ってる人がいたら助ける。誠実である。

「他者の失敗や、異なる価値観を受け入れる心を持つ」
→ 相手の話を否定せずに聴く。他人を責めない。

「人生を通じて人間的に成長する」
→ 成長できると踏んだことにはチャレンジする。

「弱い心が少なく、精神的に安定している」
己の弱さと向き合い、原因を探って対処する。

…ん?結構ハードル低くない?

いや、だって「ぜひしたい生活」は正直、最後の回転寿司以外は現状で達成されてるし、、、

人生に求めていること」「なりたい人間」についても、そんなに難しいことではないですね。日々の積み重ねで人格を育てる話で、でかい目標に期限を設けて向かうわけではない。

とはいえ、目標が低いことは、決して悪い事ではないと考えています。

目標を立てる理由は、嫌な言い方ではありますが「幸せになるため」ですね。そしてその幸福感は、状況や立場や所持金ではなく、単にその時の満足感で出ます。結果的に精神が足りるんだったら、目標の高低は関係ないんじゃ?と思うわけです。

周りと比較して劣等感を煽って、そこで初めて足りなくなるのです。

たとえばコーヒー屋に行って、私はSサイズで十分足りるので毎回Sサイズですが、そこで「いやお前、大きい方が安上がりなんだからLにしようよ」と言いますかね。どうせ残して「もったいない事だ。すいません」って思いながら捨てるんだから、じゃあやっぱりSの方がいいじゃないですか。私はSサイズで十分に満足しているのですから、そこをわざわざ外していく意味はありません。

金や権力はあるだけ良いかというと、そうでもないでしょう。金があるからと、身の丈(自分の感覚)に合わない生活レベルにすると変な感じでしょうし、「病気になったら」「医療が発達して寿命が延びたら」と考えれば、いくらあっても死ぬまで足りません。どこかで「そろそろいいか」と満足する線引きが必要です(が、金の話になると、これが中々できない)。権力も、あればあったでその座を「守るか、奪われるのか」という話になってきてしまいます。

ただ「私がどう生きようか?」という話ですので、いややっぱり目標は高い方が良いよとか、努力自体が大事だよという方は、私の言う事は無視して自分の考えに従ってください。

まあ、今は学生さんなので、実家で甘ちゃんやってる所もあります。これが社会人になって自立すると、案外この「ぜひしたい生活」をするのは難しいのかもしれない。その結果、精神的余裕が少なくなって「人生に求めていること」「なりたい人間」に向かう事も難しくなるのかもしれない。

そりゃ、なってみないとわかりません。環境が変わるとどうなるかは未知数です…あ、回転寿司屋さんが近場にないとキツイですね。

最初の方で書いた「リスクを避けるかどうか」という話は、この感じだと「成長が見込め、道義的にも間違っていないなら、チャレンジ!」という方向性になりそうですね。

そういうわけなんで、いろいろ意識してみようと思います。とはいえ、途中にも書きましたが、合わないとか考えが変わるとかで止めることは、大いにありえます。