今日、うっかりスマホを家に忘れて学校に行きました。散歩やちょっとした買い物くらいの時は、スマホを置いていくこともあるのですが、学校に行くのに忘れて行ったのは初めてでした。
駅のホームで無いことに気づき、「おぉ、じゃあ今日は珍しい体験ができるぞ」と、連絡が見れないのはちょっと心配でしたが、忘れ物したのに何となくワクワクして電車に乗り込みました。
頻繁に「今ここ」を思い出した
自分の場合、電車の中では大抵スマホで何か調べものをしています。いつものようにスマホに手を伸ばしたいのですが、今日はポケットに「ない」わけです。空回りです。
これ以降ずっと、「さてスマホでもやるか」と思うたびに、「ない!」という事実を突きつけられました。そうすると何が起こるかというと、「あ、今自分はまたスマホをやろうとしてたんだな」と気づきます。
で、「スマホはないんだったなあ」「じゃあ、スマホの世界じゃなくて、目の前の世界に戻りましょう」ということになる。そういうわけで、今日は何度も何度も「今 ここ」に戻ってこれました。
いい気分でした。幸福感がありました。
私のスマホの中には、TwitterとかInstagramとかLINEとか色々なSNSが入ってます。スマホは、私と世界を繋ぐデバイスなのです。その「私と世界を繋ぐ橋」を家に置いてきてしまったので、今日の私は世界から切り離されていました。さながら、孤島に佇むようです。
スマホがあると、繋がりは時空を超えて無制限ですが、今日の私の「繋がれる範囲」「関係があるところ」は、「今の、身体から半径数メートル」だけだったわけです。
これがとても気楽でした。目の前のことをしていれば良いのです。顔も知らないどこかのだれかについて心配したり、怒ったりしなくていいのです。仕事が減ったようです。
何も用がないのに情報の海にわざわざ潜って「泳ぐのは難しいなあ!」などと思う必要はなく、用がないなら陸にいればいいのです。
LINEでクラスのみんなに通知しないといけない仕事があったのですが、友達に頼んで代わりにやってもらいました。家族から「帰りに◯◯を買ってきて」と連絡が来るのが心配でしたが、もし来てたら帰ってからコンビニまで行けばいいか、と思えました。そして連絡は来ていませんでした。
スマホにザワつく私の頭
家に帰ってスマホを開くと、さっき友達に送ってもらったLINEと、Twitterの通知が数件届いていました。
さてさて、ここで脳がザワつき始めました。「Twitterは、どんな反応もらえたかな?」と気になり始めました。別に炎上してるわけではないので、いいんですが、問題なのは「私がTwitterの通知を気にかけていること」です。さっきまでスマホがなくて清々しい気持ちだったのに、趣味の一環のTwitterで「楽しくなる」ならいいですが、脳が「ザワつく」とは、困ったことです。
さっそく、Twitterの通知を切りました。これで、あの赤い丸数字は気になりません。
スマホに対しての印象がちょっと悪くなった日でした。来春から一人暮らしを始めるのですが、こうなると、引っ越すついでにスマホ契約周りも整理しようかなあ、と思いました。
「できる」がいいとは限らない
半日ほどスマホを持たずにいただけですが、色んなことに気付きました。
スマホは、私たちが世界と繋がるのを「いつでも可能」にします。連絡が「いつでもできて」、ニュースを「いつでも見れて」、音楽を「いつでも聴けて」、写真も地図も辞書も何もかもスマホは「できる」ようにしてくれます。
確かにそれで経済は発展するし、生活が便利になる。でも「発展して」「便利で」「何でもできる」ことが「いい!」とは、あまり思わないのが、私たち「ゆとり・さとり世代」の傾向のひとつかもしれません(学校で年下の子たちと過ごしているとそう思う)。
私は「シェア」「いいね!」にもあまり「共感」しない人なので、「ゆとり・さとり」というより「ひきこもり」なのかもしれませんが。
「発展して・便利で・何でもできて」、、、「で?」と、思ってしまうのです。
世の中が発展しても、便利になっても、それで心が満たされるわけではない。何でもできても、みんなが同じようにできるんだから、どこか空しい。
技術によって何かが速くできるようになったら、基準がそれに合わせて上がって、仕事量が増える。たくさんできるようになったら、じゃあもっと細かくとか、クオリティ上げないと差別化できないとか、イノベーションがどうとか、「仕事のために」永遠に言い続ける。
「できるようになったら、嬉しいじゃないですか」と言うけれど、「嬉しいー!」と思うのは最初の一瞬、せいぜい3日ぐらいで、そのあとはそれは「ふつうのこと」になってしまいます。
「発展して便利で何でもできる」ようになっても、本質的に大事なところは何も変わってないんじゃね?卍卍卍
こんな時代だけれども、アナログな・実在の・今ここの感覚を大事にしたいなあ、と思ったのでした。
またスマホ忘れて出かけようっと。