「本当にしたいこと」は「なんとなくやったこと」

若者のよくある悩みの一つに「自分の本当にしたいことは何か?」というのがあります。自分も同じようにそのことで悩んでいたのですが、長いことぼんやり考え続けていたら、なんとなく答えが見えてきた気がしました。

ちなみに今、この文章を音声入力で書いています。なかなか速く書けて、指も疲れないし、いい感じです。句読点や漢字のミスは、まぁ許容範囲です。思ったより正確に聞き取ってくれます。唯一のネックは、当たり前ですが、電車ではできないことですね。

心と体に、頭が追従

「本当にしたいことは何だ?」と一生懸命考えますが、ここで考えているのは頭です。しかし人間にあるのは頭だけではありません。心と体もありますね。

「本当にしたいことは何だろう?」という問いは、頭から発せられています。頭は、常識や今までの経験を踏まえて、頭の中で「本当にしたいこと」の答えを弾き出そうとします。

一方、心と体はどうかというと、考えなくても勝手に動いていきます。オートです。「情熱は如何にして燃えるのか?」で書いたように、理性は本能に追従します。つまり、心と体の衝動を頭が調整しているのです。調整能力だけあっても、衝動がなければ止まったまま、どこにも行きません。

「本当にしたいこと」は、実行するために考えていることです。「夢見るだけ」と想像しても問題はないですが、「本当にしたいことは?」とわざわざ考えているのは、今はわからない「それ」をするつもりがあるからです。

行動するためには、頭だけでなく心と体も同意していないと進めません。実際に行動をするのは体ですし、心は体の味方です。いくら頭で「良いことだ・自分の使命だ」と納得しても、心と体も気に入って勝手に追いかけてくれる事でなければ、そのうち続かなくなります。

目的のための目標

例えとして、経験談を書きます。私は絵を描くので、そういうアート系の記事を読むことがあります。すると、たまに「目標を立てて頑張りましょう」というアーティストが出てきます。

それに影響を受けて、自分も目標を立てて実行してみようとしたことが何度かあります。ちゃんと「あれして、これして」と書くのですが、いつも続きませんでした。

なぜ続けられなかったかというと、単純に私は目標やその先の目的のことを忘れていたのです。多分一日で忘れました。忘れてしまったら、もう実行のしようがありません。

なぜ、忘れてしまったのか?身も蓋もない言い方をすれば、私は単純にそれをやりたくなかったんでしょう。心と体に合わなかったのです。目標を達成していくためには、その先の「目的」が必要ですが、そこで設定した目的があまりしっくり来なかったんですね。

目的に心と体が同意していれば、進みます。その時に「バヒューン!!」と闇雲にスッ飛んでいくだけでは目標達成できないかもしれない、だからそこで計画として目標を立てていきます。道標です。で、そもそもその目的に「バヒューン」といくエネルギー自体が湧かなければ、目的どころか目標も達成できません。これが「本当にしたいことではない」ことです。頭だけで先に考えてしまって、心と体は全くついてきていない、ということの表れです。

行動を振り返って判断

何が言いたいかというと、「本当にやりたかったか、どうなのか」というのは、行動に表れるということです。頭で考えた上に行動も起こした、ということであれば、それは本当に自分が心の底からしたかったことでしょう。更にそれが長い期間続いている場合、相性はそうとうなものです。

特に考えなかったが行動は起きていた、という場合も、意識はしていないけれど本当にしたかったことです。

頭でよく考えたけど行動出来なかった、という場合は、それは意識したけれど「本当にしたいこと」ではなかったのです。分かりやすいですね。

または、「今この状況で行動したら、まずい」と本能的に理解して、行動しない、ということもあります。心と体にインプットされた素晴らしいプログラムは、頭からしたら「気まぐれな直感に過ぎない」のですが、いやいや逆です。心と体の判断が高機能すぎて、頭の方が付いていけてないのです。

これを踏まえると、「頭で考えて良いと思ったけれど、できなかったこと」は、「(現時点では)心と体はあまりしたくないこと」か「本当はまずいこと」なのだ、ということが分かります。

いくら周りに説得されても、社会的に褒められることでも、頭で素晴らしい結論を出しても、自分の心と体が「合わん!やらん!」と言ったら、ムリなもんはムリなのです。頭はただの調整機能ですから、これはひっくり返せません。

「やってみなきゃわからない」 つまり…

「やってみなきゃ、わからない」と言います。その通りです。で、「やってみなきゃ」と思うのですが、そこで本当に「やれる」「続けられる」ことは、程度の差はあれ「本当にしたいこと」です。

「自分の本当にしたいこと」といえば「何か大きくて役に立つこと」という前提で考えてしまいがちです。または「本当に、ということは本能的なものだろう」と、食欲や性欲や酒など「気持ちいいもの」を連想してしまいがちです。

ですが実際は「本当にしたいこと」は最初は小さいことで、そのへんにたくさんあります。「なんとなくやったこと」という言い方で丁度いいぐらいです。

最初は小さくて具体的なことだけど、それを続けて行くうちに大きくなっていったりするのです。そうして「最初はちょっとやってみただけの趣味」が成長し、やってることが大きくなると、それをインタビューされて仕事として答える、するとそれを読んだ読者は「本当にやりたいことってのは、大きくて役立つものなんだ」と勘違いしてしまうのです。

たまたま役に立ったから仕事になってインタビューされるに至るわけです。「本当にしたいこと」の本質が最初から「役に立つ仕事」なのではない。ここの順番を間違えやすいです。

別に誰かが騙そうとしてるわけではないのですが、なんとな〜く「本当にしたいことは、大きくて役に立つ偉大なことで、才能がないと見つけられない」とイメージしてしまいがちです。でもそれはただのイメージです。