心理学と瞑想の両面から精神を落ち着かせる

色んな人に「落ち着いてるね」と言われます。面接官や上司から友達まで言われてるので、実際にそうなんだと思います。

で、わざわざそう指摘されるってことは、世の中には「落ち着かない人」が多いんでしょう。ということで、個人的「落ち着いた人になる方法」を書きます。

即効性はありません。「すぐ直せる方法」ではなく、「時間をかけて行う訓練の方法」です。

性格というのは、すぐには変えられません。素質も関わります。「落ち着いた人になる才能」も必要ですし、訓練するのだから「性格をずらす訓練をする才能」が要りますし、そもそも「落ち着いた人になりたいと思う才能」がなければ「落ち着いた人になりてぇなぁ」などとは思わないわけです。

才能才能と書いてますが、何ら特別な才能ではありません。私に言わせれば、「落ち着いた人」とは逆の「ソワソワした人」になるにも才能が要りますし、性格を変えたいとは思わないのも才能ですし、少しだけ変えたいと思うのも才能です。何から何まで才能なので、特に気にしないでください。

原因療法と対症療法

例えば腹が痛い時、その痛みの原因である腫瘍を取り除くのが「原因療法」で、とりあえず痛み止めを飲むのが「対症療法」です。

で、精神を安定させる場合、心理学的アプローチは「対症療法」です。例えば、認知行動療法を身につけるとか、他人に相談をするとか、向精神薬を飲むとかです。これは頓服薬のように使います。

瞑想的アプローチは「原因療法」です。厳密に言うと「プレ対症療法」「影響療法」という感じですが、話を分かりやすくしたいので、原因療法だと思ってください。これは、例えば瞑想を毎日して諸行無常を感じるとか、哲学的思索をして自己認識を深めるとかです。

「原因療法」=瞑想的アプローチを積み重ねると、免疫がウイルスを倒すのと反対の現象が起きて、自動思考(不安感)が弱まります。

ちょうど私はひどい花粉症なのですが、身体が「花粉は本当は食べ物なんだ!」と確信してくれれば、アレルギー症状は出なくなります(これを利用した予防薬があります)。これと同じで、「不安は本当は幻想なんだ!」と確信すれば、不安は無くなるとは言いませんが、かなり減ります。

ある種の諦めがつき、出てくる不安が少なくなると、堂々とするので、落ち着いた人になります。

出てきた不安を後から減らすのが心理学的アプローチで、出てくる不安の量を元から減らしてしまうのが瞑想的アプローチです。

ですから、瞑想的アプローチで元の不安の量を減らし、それでも出てきた不安は心理学的アプローチで倒せば、ほとんど不安感なく落ち着いて過ごせるというわけです。

心理学的アプローチ

心理学を活用した、対症療法的なやり方は、認知行動療法とかカウンセリングとかです。ググれば色々出てきますが、変なまとめサイトも多いので、一番は本を読むことです。

心療内科にかかるのもいいですが、心療内科や精神科は医者との相性がかなり運ゲーです。金と時間が無駄にかかるので、図書館やブックオフを使って心理学の本を読む方が良いと思います。情報リテラシーに自信があるならネットでもいいですが質は劣ります。ちなみに私は昔心療内科でカウンセリングをし、その中で認知行動療法を学びました。

ここで、私が読んできた本やサイトを紹介できれば良いのですが、「この本に全部書いてある」ではないのです。色々なビジネス書や自己啓発書、哲学書、思考ブログを読む。心理学に関係のない絵画や音楽、自然などに触れて、意図や想い、教訓を感じ取る。そうして点と点を蓄積していき、それが線になったりならなかったり。そんな中で「そういえば、こんな時はあの人のような考え方をしてみよう」と、その時その時でエッセンスを紡ぎ出しています。

とりあえずは、さっきから何度も出てきているワード「認知行動療法」について調べると良いです。まずは心理学を軽く勉強して、出てきた不安に少しでも対処できるようになりましょう。

瞑想的アプローチ

湧いてくる不安の量自体を少なくできれば、心理学的方法で対処するのにも余裕ができます。そういうわけで、長期的に落ち着きを持ちたいのなら、哲学・瞑想的なステップを踏む必要があると私は考えます。

私は元々「考え込む人」だったので、昔から哲学的思索をしていたのですが、不安を減らすための最終目標は「すべてが幻想であったと気付くこと」です。これは、哲学的思索・少しの仏教の勉強・毎日の瞑想を通じて分かります。哲学的思索は、必ずしもガチでしなくていい気がします(「哲学的思索はせずに、瞑想だけした場合」を私は遡って体験できないので、断言はできませんが)。

過去記事:【実践版】考えすぎない練習

私が参考にしたサイト:ヴィパッサナー瞑想

とりあえず、「諸行無常」を調べて、「そう言われれば、そうかなあ?」と思いつつ、毎日瞑想してください。そのうち「せやな」と分かる日が来ます。文章ではなく体感で理解することです。

私は仏教徒ではありません。何も信仰はしていませんが、生きるための潤滑油として、仏教的な瞑想はオススメです。だから紹介しています。でも、お釈迦様を信じろとかは言いません。それは個人の自由な思想です。