「モニョる」という言葉について

昨年頃、Twitterで「モニョる」という言葉をよく見かけた。

この言葉を見た時、私はどうも不快な感覚を覚えた。なぜなのか?違和感を知るためには、「モニョる」の具体的な意味を考えていく必要がある。

そういうわけで、今回は「モニョる」の意味・シチュエーションについて考えていこうと思う。

昔の「もにょる」

調べてみると、「もにょる」は2006年頃には匿名掲示板で使われていた。

その頃の「もにょる」は同人用語だったようだ(だから便宜的に「もにょる/モニョる」と書き分ける)。主にBL同人誌の内容や絵について、「悪いわけではないが、実力が足りない」という意味で使われていたらしい。私は当時小学生なので、その頃の同人界隈の空気は知らないが、「頑張ったで賞」みたいな感じだろうか?

10数年前の「もにょる」と最近の「モニョる」は、意味が違うのだ。

最近の「モニョる」

さて、ここから本題だ。昨年よく見た「モニョる」を、改めてツイート検索し、その具体的な意味を考えてみた。ツイートの引用は控えておく。

「具体的な意味」と書いたが、抽象的な意味合いを書くとすれば「まぁ、そうとも言えないことはないけど…いまいちズレてるなぁ」という感じだろう。

この曖昧さでは、なぜ私が不快感を覚えたのか、よく分からない。意味がダメなのか、曖昧さがダメなのか、態度がダメなのか?

だから分析をして、平たくハッキリとした、具体的な意味を見出すことにしたのだ。

各ツイートをよく読み比較すると、共通点が見えてきた。

「モニョる」ツイートの共通点

  1. 「私」と「モニョる相手(誰か・世間)」がいる
  2. 「私」は、相手の主張に反論したい。また、その反論内容は、ツイートにしっかり書いてあることが多い(つまり、ツイート内では「モニョ」っていない!)

「モニョる」と言っているツイートだが、そのツイート内では「モニョ」っていないのである。これはとても面白い構造だと思う。

そして面白いだけでなく、これこそが理解の手がかりだ。書き手は「今でこそツイートできるが、現実世界では反論できなかった」のである。

その理由は、相手の方が地位が高くてつい従ってしまったとか、相手の方が多数派で言いづらかったとか、スピード感のある会話で反論を練り上げる時間が無かった…等が考えられる。

分かっちゃいるのに、事情によって反論できない、その歯痒さの表現が「モニョる」だったのだ。

「モニョる」の気に食わなさを解剖

「モニョる」について調べてみると、検索候補に「気持ち悪い」とか「嫌い」といったネガティヴ・ワードが目立っていた。また、はてな匿名ダイアリーや2ちゃんねるスレ等でも「不快だ」という記事がいくつかヒットした。

ヒットしたのは「いくつか」なので、大多数の意見ではなさそうだ。とはいえ、「モニョる」に不快感を覚える人は、私を含めて一定数いるようである。

前項までの分析をさらに深め、「“モニョる”が不快な理由」を考えてみた。

「モニョった」を言い換えると「口ごもった」「その場で反論することは、できなかった」である。

理由をしっかりツイートしながら「モニョりました」というのは、「私は頭では分かっていますが、言えませんでした」ということだ。「言えなかった」という受動的な表現を「モニョった」という能動的な表現に置き換えることで、相手不在のまま論破・批判できているように見えるのが気に食わないのだ。

その場で言えなかったのは、自分の地位や表現力や頭の回転、度胸、ある種の図太さなどが足りなかったからなのだが、「モニョる」を使うことで、これらの落ち度や弱さを無かったことにできる。

「私バカだから、モニョっちゃった」とは言わない。「あの意見は、モニョる」と、相手が悪い言い方にできる。そうボヤいたうえで、ある程度筋の通った反論を書けば、なんとなく一方的に論破または批判できているように見える。これが気に食わない。

Twitterはモニョる場所

そういうわけで私は「モニョる」が気に食わないのだが、そもそもTwitterというSNSは、こういったどうでもいいことや愚痴を誰にともなく垂れ流す場所のはずである。「モニョる場所」なのだ。

ツイート内容が「モニョり」なのはいい。「こんなこと言われて、その場では言い返せなかったけど、今思えば〇〇だと思う」等と、普通に書けば不快感はない。だが、「モニョる」と宣言した瞬間、「相手が変な事を言ったせいで、私はモニョった」と、攻撃的で一方的な文脈に変わるのだ。

たかがTwitterなんだから攻撃的でも一方的でも別にいいのだが、そんなツイートがバズっていると「おいおい、マジでみんなこんなツイートRTするのかよ」と思うのである。