コミュ障をマシにする

昔は、クラスメイトや先生に話しかけるにも物凄く緊張して、毎日心臓が疲労していたのですが、今は全く物怖じせずに話しかけられるようになりました。

そこで、我流ではありますが、コミュ障を脱却するための手引きを書こうかと思います。

注意事項

ひとつ気を付けていただきたいのは、私は「コミュ障をマシにできた人」なので、「努力すればコミュ障はマシにできるのだ」という感覚を持っています。しかし、それは生存バイアスとも言えるでしょう。私の性格や環境やコミュ障度と、あなたのそれは一致しませんので、同じ対処をすれば必ずコミュ障がマシになる…とは言えません。

また、精神の病に罹っている方は、病院に行って薬をちゃんと飲み、カウンセラーに相談してください。

このブログを見ること自体は止めませんが、ただの個人ブログですので参考以下程度に。

コミュ障を治す方法

コミュ障から脱却するポイントは2つあります。どっちからアプローチしてもいいと思います。

「コミュ障 治し方」で検索すると、なんか難しそうな記事が沢山出てきますが、難しいことはありません。5つも6つもチェックリストを持つ必要はありません。ポイントは2つ、その核となるのは1つです。思い切りさえつけば、あとはスルスルというかズルズルいけます。

「まあいっか」精神を携えていく

1つめは、精神面です。
相手の顔色を伺う=考える、分析することを止めましょう。

「なんか良くないこと言ったかも……」と、相手の顔色をつい伺ってしまう時、「どうしよう」「なんて言おう」などと色々考えるのを止めましょう。心を鬼にして「ま、いっか」と思う練習をします。考えない練習、瞑想に通ずるところもありますね。

最初は歯を食いしばりながらやることになりますが、覚悟を決めて、相手を放置してみましょう。ちょっと相手を小突いてみましょう。必死に顔色から目を背けましょう。

コミュ障の人がコレを習得するのは、けっこう時間も精神も使いますが、一旦習得すれば後は無意識にできるようになります。

最初は、気が強い友人相手にやるのが最適でしょう。ウェーイ系のクラスメイトでもいいです。ポイントは「相手に雑な扱いをされたから、やり返すのだ」と自分に言い訳できることです。勇気を出して相手を適当に扱ってみてください。気が弱い・優しい友人に仕掛けると、罪悪感が出て逆効果なので、「仕返し」と思える程度には気の強い人に練習台になってもらいます。

慣れてき次第、ハードルを上げて、先生とか初対面の人に対してもヘラヘラしていく。相手の精神は強靭なんだと無理矢理思い込んででも、マイペースを貫いてみる。最初は心で泣くでしょうが、繰り返していくうち、そのうち心もヘラヘラするようになります。

やってる途中で、相手に嫌な顔をされることがあると思います。無理矢理相手を無視するのだから、当たり前といえばそうです。でも、それも「あ、嫌な顔しとるな。でもまあ、いっか」と無視しましょう。そこで折れてへーコラ始めちゃったら、社会の思うツボです。グッと堪えて、ワガママを通す。コミュ障克服は、自分との闘いです。

ポイントは、この「まあ、いっか」を「つい顔色を伺ってしまった時」にも適用することです。自分が顔色を伺おうが、伺わまいが、会話が上手く行こうが沈黙しようが、毎回「まあ、いっか」と念じてみましょう。

顔色を伺ってしまったら「やっちゃったな、次は伺わないようにしよ。まあ、いっか。」ということで、クヨクヨと考えないように努める。「会話の後の一人反省会」をやめる。それは妄想です。

上手くいった時も、やたらと喜ぶべきではなく「よかった、次もこうしたい。でもまあ、いっか。」というだけの話です。「今回はこうして上手くいったから、次回相手が〇〇と言ったら、今回と同じく……」などと一人作戦会議をするのも、やめる。それも妄想です。

心を鬼にしたり、嫌な顔をされたり、大変なんですが、一線越えて吹っ切れるとそこからは心を鬼にしなくても「ま、いいか」でいられるし、嫌な顔も特に気にならなくなります。楽になります。

聞き手に徹する

2つめは、行動面です。

あなたは会話が上手にできないので、とりあえず聞くことだけをちゃんとしましょう。いきなり聞くと喋るの2つをこなすのは無理だと思って、まずは聞くだけにします。

なんで聞く方をするかというと、その方が簡単に「いい会話だった感」を得ることができるからです。

あなたは、「自分はそこまでコミュ障じゃないな。実は大丈夫なのでは」と思うために、「まあまあ良い会話ができたぞ」と何回も思う必要があります。会話に対するイメージをマシにしていくのです。しかし、あなたは自分が喋るとすぐに「なんか悪い事言ったかな?」と気にするので、だったら聞く方から始めるのがいいですね。

人間というのは自分がベラベラ喋ると気持ちが良くなる生物なので、こっちがただ「うむ、そうだね」と聞いてるだけで、相手は勝手に楽しそうになってくれます。相手の顔色を伺うのがクセのあなたは、それを見て「まあまあ良い会話ができたぞ」と思えます。

上手いことや面白いことを言うのは、今の自分には難易度が高いのだと理解する。まずはひたすら聞いて、聞いて、相槌だけ打つ。

相槌というのは、言ってしまえば「合コンさしすせそ」ですが、なんだかわざとらしくて使いにくいワード達ですね。

ということで、「うん」「へぇ」「あ〜(理解した感)」でいいです。

なんか聞かれたら、答えられるなら答えたらいいですが、シドロモドロになったり「よくわかんない」とか「うーむ」とか言っても問題ありません。

それで万一相手が怒ったりバカにしてきたら、そりゃ相手が変な人なのです。普通は、会話が下手なくらいで嫌ったり馬鹿にしたりはしません。

おまけ 挨拶をする

会話を続けるのが下手なら、とりあえず最初は、一言言うだけでも許される会話をしましょう。

そう、挨拶ですね。隣の席の人に、小さい声でいいので「おっ、おはよっ」とか言ってみましょう。

変な感じの挨拶になったら怖いと思いますが、それはそれで良くて、相手もコミュ障だったら「分かるで」となるし、リア充だったら「面白いやつだな笑」と思ってもらえます。挨拶さえできれば、以降その人との会話のハードルはかなり下がります。

ど〜〜〜〜〜〜〜しても絶対、挨拶もムリっ!!!!……という場合は、相手の顔を見て、会釈しましょう。運が良ければ、相手から「おはよ」と言ってくれたり、会釈を返してくれます。返ってこなくても、第一歩を踏めたのでまあいいでしょう(まあ、いっか)。

コミュ障になる原因

2つ+おまけで1つ、直すポイントを書いてみましたが、これらの根底にある「コミュ障の原因」は1つです。

『自分がちゃんと喋らないと、相手は嫌な気持ちになる』

と、思い込んでいることです。なんとな〜く、常にそう感じていることです。しかし、現実はそうではありません。幼い時に家とか学校で、そう思わせるようなことがあったのかもしれません。

実際は、「相手がちゃんと喋ってないと気分悪いんだよね」などという人は、そうそういません。いたとしても、それはものすごい自己中なので、その人に合わせなくていいです。「ものすごい自己中の人にも優しい、寛容な私」になりたい気持ちは分かりますが、一旦そういう人々を雑に扱わないとコミュ障から抜けられないので、今は合わせないでください。

沈黙が起きても、それはあなたのせいではありません。相手のせいでもありません。二人の相性とかその場の雰囲気とか、コントロールできないもの含めて色々作用して、流れとして「そうなった」だけです。

二人の相性とかその場の雰囲気というのは、一人で変えられるものではありません。自分が変えられるのは、自分のことだけです。

「相手が笑顔になったら、楽しい会話になる」「そのために自分は面白いことを言った方がいい」というのは、思い込みです。相手の反応や会話の完成度は、自分のことではないので、操作できません。

本当のところは、笑顔や沈黙の回数と「いい会話だった感」は関係ありません。「面白いことを言えば相手は笑うだろう」というのも、「相手を笑かしてやるぞ」という、「お前オレがこれから面白いこと言うんだから、ちゃんと笑えよ」という、よくわからない期待を勝手にして一人で自滅しているのです。

会話が上手く行こうが出来が悪かろうが、無理矢理「まあ、いっか」「まあ、いっか」と思い続けていくと、そのうち口癖(思い癖?)になって、新しい刷り込みができます。

過去に刷り込まれた「ちゃんと喋らないと相手が困る」という思い込みが、「喋れなくても、まあいっか」という思い込みに更新されます。

「ちゃんと喋れなくても、別にいいか」と諦めることができたら、、、なんと、臆せず喋れるようになります。

より具体的には、「自分は上手く喋れる・喋れない」というジャッジを自分自身にしなくなります。どうでもいいことはジャッジしないのです。「まあ、いっか」と思い続けることで、会話の上手い下手はどうでもいいことになっていきます。すると、「うまい・へた」は気にせずに、ただ必要な時に適当に喋るようになります。そしてその「適当さ」こそが、コミュ障か否かを分けるものなのです。

こういった、自分をジャッジにかけるのが原因の悩みというのは、けっこうあると思います。「まあ、いっか、できなくても」と思えたら直る、一見妙な話ですが、そういう自分で自分の首締める型の悩みもあるみたいです。