思考停止で感謝の言葉を述べている

仕事の成果物などについて褒められた時、何か返しが思い付くこともありますが、なんと返せば良いのか分からない時もあります。その時は、とりあえず「良かったです。ありがとうございます」と言っています。思考停止で感謝の言葉を述べているわけです。

ネガティブラリーを断ちたい

中学生の頃、何かを褒められた子というのは殆どきまって「いやいや!そんなことないよ」「○○ちゃんの方が凄いよ」というような反応をしていました。

しかしそうすると、褒めた側がまた「いやいや!どう見ても…」「何いってんの。○○ちゃんの方が…」と繰り返し、それでまた言われた側が反論することになる。

もうひとつ言えば、何かを人に頼んだ時などに「すみません」「ごめんね」と謝る人もたいへん多い。しかしこれも、謝られた側は「許す義務」のようなものが生じてしまい、無駄なレスポンスを強いていることになる。

これらのやりとりが不毛だと感じた私は、褒められたら「ありがとう」、頼む時も「ありがとう」、何かしてもらっても「ありがとう」で、そこですぐ会話を終えられるようにしています。思ってもいないネガティブワードを文頭にくっつけて送りあうのは、単純にストレスなのです。それで、「ありがとうございます」が殆ど口癖みたいになっています。

感謝の言葉を連発するようになったキッカケが、「嫌なコミュニケーションを予防するため」というのは、皮肉のようですね。

思考停止で感謝?

「ありがとうが口癖です」なんて書くとイメージだけは大変良いのですが、実際のところ、私は思考停止で、あえて言葉に直せば「うっす」的なノリで感謝の言葉を述べているわけです。感謝しているから表現するというより、抽象的なLINEスタンプみたいな使い方です。しかも口癖ですから、反射的に出てしまいます。会社員になってからは早いレスポンスが求められるので、尚更考える前に「とりあえず、ありがとう、と言う」になっています。だから、多分あまりふさわしくないシーンで「ありがとうございます」と言ってしまったこともあるはずです。

そんな言い方で、私は「本当に感謝」しているのでしょうか?ウソをついてる、とまでは行きませんが、「感謝」というのは、挨拶のように毎日送りまくる種類のものなのでしょうか。

「感謝は挨拶のように思考停止で送ってもよいのか?」という問に対しての私の答えは、「Yes」です。

そもそも「感謝」というのは個人的な感情で、「○○された場合は、人間は必ず感謝するものだ」というものではありません。そうなると、感謝の言葉を伝える、つまり「ありがとう」を言うタイミングというのは、個人個人で変わってくる。人によって違うので、その言葉が思考停止なのか本気なのかは、文脈や関係性から判断するしかないでしょう。