スキンシップやくつろぎによる思考の整体

配偶者を始めとした家族と一時的に微妙な雰囲気になっている場合は、手を繋いだり身体を撫でてやったりすることで、簡単に気分が変わることがあります。

「一時的に微妙な雰囲気」を解消するにもいいですし、もう少し深刻な話をできるだけ穏便に進めるための準備にも使えると思います。

思考で感情を解決することはできない

微妙な雰囲気になっている時は、「こいつとは今は仲良くしたくねーわ」「しかしこれが続くと困ったな」という感じで、気分的にはあまり仲良くすることに前向きではありません。

どうすればまた「仲良くしたい」と思えるようになるか考えても、そもそも「今」仲良くしたくないのだから、まともな解決策は思い付きません。また、ネットで解決方法を検索したとて、夫や妻への匿名悪口が永久に垂れ流されているばかりで、クソの役にも立たないとは正にこの事です。

思考や論理は感情の後をついてくるもののため、思考によって感情を何とかするのは難しい。できる事があるとしても、それは抑圧、諦め、欺瞞といった非建設的なやり方です。

感情を手っ取り早く動かすなら、肉体感覚や体内環境に働きかけることです。

自分自身に認知的不協和を起こすことで、心をバキバキ整える

認知的不協和は、高い木になっているブドウを取れないキツネが「どうせ、あのブドウは酸っぱいからなあ」と言って納得するようなことです。したいこと・望ましいことと、できること・やったことが一致してない時に、どちらかを変更して納得することです。

というわけで、「こいつとは仲良くしたくねーわ」と思っている時に、あえて手を繋いだりします。すると、「仲良くしたくないのに、手を繋いでいるとは、どういうことだ」と脳が混乱し始めます。それを無視して、かたくなに手を繋ぎ続けていると、脳というか心というか「思考の背骨」がバキバキ整えられていく感じになります。肉体感覚や行動によって、思考は強い影響を受けるということです。これプラスで、もし相手の肌触りとか体臭が好きという場合、さらに破格の効果になります。

脳をバキバキ矯正することで、一時的に歪んでいた「思考の背骨」が正しい位置に近づき、短期的な感情より長期的な感情(=自分なりに大事にしたいと思っている信条)が優先になります。それで、元々持っていた「仲良くしていたい」という感情が正常に出やすくなり、あとは流れに抵抗せず乗っていくことで仲直りがしやすくなります。

思考は感情や環境の後をついてきます。変えるのは思考ではなく「(体内環境や肉体感覚を含む)環境」です。思考だけを勝手に変えることはできません。思考は自動的に発生するものですから、発生前後の関数を変えて間接的に操作することしかできません。

風呂に永久に浸かり、飯を無限に食べて、果てしなく寝る

思考上で考えても良い案が浮かばず、ネット検索では簡単に出てこない問題が起こっている場合、兎にも角にもマトモな精神状態・前向きな気分で取り組むのが重要です。ということで最初にやるべきは、肉体のコンディションを良くして脳を整えることです(厳密にいうと、そもそも脳は肉体の一部である)。

理想的には、森林や山をたくさん歩き、栄養価の高い食事を採り、全身マッサージを受けて、温泉に浸かって、寝る…ですが、仕事をしていたら連休に旅程を入れないとなかなか実現は難しいため、ひとまず家で「風呂・飯・寝る」を思い切りやるといいです。

  • 風呂は入浴剤を入れて38-39度で20分以上、風呂場の蛍光灯は消して間接照明の暖色の光でくつろぐ。音楽はかけてもかけなくてもどっちでもいい(どっちがよりリラックスできるかは人による)。
  • 飯はなるべく動物性タンパク質を多く採る。糖質制限は一部の人には精神状態を良くする効果があるみたいですが、私の場合は腸への負担を和らげるためにご飯は必要だったので、そこのバランスは一概に言えません。
  • 寝るは、就寝時刻はクロノタイプによって変わりますが、睡眠時間は9時間以上(高齢になるにつれて連続で寝れる時間は短くなるので、9時間は若い人の目安)。

個人差はあるでしょうが、身体の状態がよくなると精神に明らかに好影響があります。重要な思考はまともな状態になってから開始するのが大事です。

思考上で考えている割に浅いところまでしか考えていない激薄記事たち

最近は「ググってもしょーもない記事ばっか出てきて、自分で考える方が精度が高いので、余計な情報の偏りや不快感を避けるためにググらない方が良いこと」が、ググる前になんとなく分かるようになってきました。心理系の情報に顕著です。

ゆとり教育によって「個性が大切だ」と洗脳された賢人(かしこんちゅ)たちが、無いものを一生懸命誇張して、あるいは他所から表面だけかすめてきて、なんとか楽して儲けてライフをハックしようとしています。

「個性はどうでもいい」「ライフをハックしなくてもいい」と気づくようなところまで思考を進めることができれば良いのですが、人には向き不向きがあるので、しょーもない記事が増産されてしまうのは仕方がありません。せめて彼らが自尊心に付け込まれ、情報商材や宗教ビジネス、陰謀論に食い尽くされないよう願います。