思考メモまとめ

思い付いた事を日記アプリに積んでいたので、そのまとめ。今年の4月~今日までのやつ。時系列ではない。

  • 数学は無機的なイメージがあるけど、答えが複数なのが正解だったり、「鮮やかに解く」ことや発見(へのプロセス)に価値が認められてたりするのは、現実社会より有機的だと思う。
  • 理性がある、というのは、「幸せ」の価値感(≠観)があるってことなのかもしれない。
  • 文章化すると安心する。「ちゃんと箱にしまったから、なくさない」って感じ
  • その代わり、ボヤーンとした感覚を四角い単語に押し込むから、輪郭のモヤモヤは切り落とされて何処か行ってしまう。
  • (仮説)金や権利が絡むと、起こってることが同じでも話が難しくなる。
  • 「多数派だから面白みがない」とは言わないな。
  • 「どんなに客観的になるように考えても、それは私の頭の中で考えられたことだから、主観に収まってしまう」というのが、考え事のうえでの悩みだ。しかし例えば音楽家が「完璧な音を探しているが、もし見つかってもそれは”私の耳にとって完全”というだけだ」と言って探求をやめてしまったら、それは世界にとっての損失だ。
  • 現在、世界は言葉によって作られる。だから言葉というものが嫌いだな。縛りたくないものを縛り、どうでもいいものを表出させてくる… 便利だし使うだろうから英語を練習してるけど、ついに習得したら苦しみが増えてると思う。
  • 「頑張ってて疲れてるけど、これからも頑張らないわけにはいかない(ように見える)人」に対して、どう声をかけるか、声をかけるのかどうか、というのは最も難しい問題だ
  • 日本の中では「幸せは気づくもの!」という言説がまかり通るが、例えばアフリカの孤児に同じく「幸せは気づくもの」と言うかどうかというと、それは酷だ、となるだろ。つまり所謂幸せを感じるには、求める豊かさ+気づきの両方が必要。何もないところから欲求を足していって、現状と比較すると、いわゆる「幸せに気づく」ということになる。
  • 考えについて「深い、浅い」というのは、なかなか当たりの表現だ。考えの道筋は、途中に点のある長い線として表せると思う。それはしばしば、らせん状になって深みに伸びてゆく。
  • 宇宙という袋に最高次元の囚人がぽいぽい投げ込まれてる説 三次元の刑!最高次元民にとってこれはキツイ ここで更生するまで苦しみなさいってことね
  • 求められる仕事を仕事としてキチッとやる方が、かえって個性が見える(探したくなる)。と、トミー・カレヴィックの歌唱を聴いて思ったわけだ
  • 空を鳥が飛ぶのではない!鳥が飛んでいる場所が空なのだ
  • 自分は、子供と話す時ハッキリとした物言いをしたがる。なんとなく、大人がしっかりしないと子供は惑ってしまうと思ってる。でも自分が子供だった頃を思うと、大人だって不安なことはあると正直にする方が、人間関係の自己開示になるし、「大人は正しいはず」って悪い思い込みさせずにすむと思った。
  • 人間であることの本質ってなんだ?たとえば「人間らしい(暮らし)」と言えば、感情を出す・仕事に潰されていない・無理に自然に逆らわない…というようなイメージがあるけど、イメージがあるだけで本質は見えない。それともイメージこそが本質なのか?時代と共に変わるものだから?
  • 哲学上の立場 って概念があることは、何とも非論理的というか、有機的で、諦めた感じがあって好ましい。
  • 何の理不尽もない究極の世界とは、無であろうが、しかし「無がある」「無である」という、釈明できない事実=理不尽が存在する。世界、存在というものの造りは、元から理不尽なのだ。
  • 「無」とは定義である。
  • この世界とはいかなるものなのか…この世界と、「無」や「他の世界」とは、同じことなのではないか?
  • モテたくない。モテるとは振ることだ。
  • 人生というものを最も軽蔑する生き方とは、いわゆる「一般人」の生き方だ。人生には、闘う価値も自殺する価値もないんだ。
  • 形而上学における「無」というのは、四次元上にあるものなのではないか?または更に離れた次元かもしれない。つまり、我々には認識できないものだ。