げろげろ…蛙の嘔吐(人生への雑感)

カエルは、食べられないとわかったものを吐き出すとき、とても体力を使います。

  • 私は、人間の欲求として「癒され、そして成長したい」のだが、現在の癒えていない未熟な状態の方が 人生を俯瞰した時には美しいと思う。少年は身長はじめ「大きくなる」ことを望むが、成長期とは儚く大人から見ればやはり美しいものである。
  • 私は結局のところ、人生に希望を感じている(同時に絶望もしているが)。今がおそらく私の人生で最も(精神的に)美しい時期なのだと勘づいていても自殺をしない。それは先述の欲求、人生の希望、生存本能、あと「大人になって振り返るからこそ少年時代は美しい」という醜く大人げない言い訳による。
  • …と書いたけど、最大の理由はどうせ生存本能なんだろう。人生どうなるか分からないね、と保険を敷いて、どうせいい人と結婚し、どうせいい家庭を持ち、どうせ幸せに死ぬのかもしれない。あぁおそろしい!おそろしい!!

私は自傷行為をしたことがない。正確には、殴ったことはあるが、刃物を使ったことはない。これについて、最近まで(今も?)引け目というか、「やはり皆の方が辛いんだ。自分などはそれをしないで済む程度なのだ」と感じていた。

しかしここ数ヶ月、少し違う感覚が生まれている。「ここでやったら安心するんだろうな」「一回目さえやれば発散の手段が増えるんだろうな」という気持ちだ。しかし、結局していない。怖くてできないのか、考えの結果しないのか、ばれるのが面倒なのか、よく分からないが、とにかくその気分の波をやり過ごしている。

そしてなんとなく、(語弊のある雑な言い方だが)「やったら負け」のような気がするのだ。それをやったら、安心するかもしれないけど、絵だとか音楽、文章に向けたい「かたまり」が霧散してしまう気がして、つまり逃げなんじゃないか?と感じている。逃げることが悪いことだとは思わないが、自分の中に蓄積している、せっかくの「かたまり」が勿体無い…ような。

きっと霧散はしない。一時的な安心感を含んだ、また新しい種類の「かたまり」が積もって、また新しい感覚を知るんだろうと思う。やってもやらなくても、それはそれで私になるのだ。