善悪について

善悪、良い・悪い、という単語は、絶対的な概念としてではなく、ただまとめの言い方としてあるのでは?

世の中には、このような対立することがある。

  • 便利 ⇔ 不便
  • 嬉しい ⇔ 悲しい
  • 安全 ⇔ 脅威

左側がプラスのことで右側はマイナスのことと捉えられる。

ある行為や状況について、要素をそれぞれこのプラス・マイナスで(頭の中で瞬間的に)分けていき、その程度や数、質を勘定して「良い行い」「悪いこと」とジャッジしているのではないかと考える。

つまり、「良い⇔悪い」という定規が自分の中にあってそこに当てはめているのではなく、あくまで「まとめて見た時の判断」として善悪と言っているのではないか、ということだ。

例えば、人質をとっている強盗を警察が撃ち殺したとする。「悪いことをしたから殺された」のだが、ここには色々な善悪判断の要素がある。

まず、人質をとること。これは人質にとって相当な脅威であり苦しみである。強盗にとってはただの手段、強いて言えば自分の欲求を通すための「便利さ」とか、人を苦しめる「気持ちよさ」だ。自分の欲求を通したり気分が良くなる手段は人質をとる以外にもあるので、プラスマイナスの数や質を考えまとめると人質を取ることは「かなり悪いこと」といえよう。

次に、警察が強盗を殺すこと。人質や市民にとっては安全になる、復讐心を満たす、といったプラスが生まれる。強盗にとっては、殺されるという痛みや恐怖、それから強盗の友人や家族が悲しむかもしれない、というマイナスが生まれる。これは数や質を考えると、「すごく良いこととは言いにくいが、仕方ない」といえるだろう。

まとめると、「悪いことをした人が、殺されて、周りの人が安心した」だ。

例えばこの例の「強盗が殺される」が「市民が殺される」になると、市民は特に何も周りにマイナスを及ぼしていないので、その市民が殺されることによってプラスは基本的には生まれない。だから、何もしてない人を殺すのと犯罪者を殺すのは、「プラスマイナスのまとめとしての善悪判断」の上では、善悪が変わる。

人によっては、「人を殺すのは絶対悪!」という「善悪の定規」の見方もあるだろう。その場合は、市民を殺すのも強盗を殺すことも、同じ悪である。

(刑罰についてここに書いていましたが、ちょっと考えが変わったので削除しました)

行動について「これをしてよいのだろうか?悪いことなのでは?」と迷った時は、その行動で起こるプラスマイナスを「誰にとって・どのくらい・プラスマイナス」と分解する。そして、その「誰か」をどのくらい尊重するのが適当か考えると、判断をひとつ下せるかもしれない。

私はよく「良いこととは何か?悪いとはどういうことか?」と考えていたが、「これは良いこと、これは悪い、良いとはこういうことだ」という話ではない気がする。この記事で書いたような状況判断の他にも、時代背景や人間関係など様々な要素が絡んで、結果「まとめた印象として、良い・悪い」と言い放つ、それだけの単語なのかもしれない…。