感覚と真実

死んだら、感覚がなくなるから、「真実の世界」に行けるのかも?と思ったのだ。「真実」という言葉は、考え事が癖の人には伝わると思うけど、そうじゃなければ伝わりにくいかもしれない。

人間の感覚は「人間の感覚」である。ほかの生き物たちは、それぞれ進化の過程で、人間とは別の感覚を持つようになった。たとえば、ある虫は、人間には見えない紫外線が見えるらしい。

この世界に「真実」があるとして、それは人間の感覚だけで確かに測れるものではない。ある唯一の真実を見るとき、人間の感覚で見たらそれは「人間から見た場合の、真実の一面」にすぎない。私は、「真実」の全容を知りえない。(知りえない、って分かってて、それでもこんなことばっか考えてる)

感覚は、たぶん死んだ時になくなる。それは、今持っている「人間の感覚」から解放されることだ。今はこの視覚も、聴覚も、思考もすべて「人間の」という枠の中に収まっている。それから解放されて、ついに「真実」の全容を知ることになる… …といいな。いや、知りたくないかも?

でも、今生きているこの感覚世界も、死後のものと同格という気もする。生死が大きな分かれ目になっているから、格が違う気がするけど、死後の世界もやはり「死者の感覚」を通した一面に過ぎないのかもしれない。

*土に埋まって化石になった恐竜を想像したら、この考えを思いついた。彼らは死んでいる。恐竜の感覚を手放して、光のない土の中にいる。光のない場所ということは、視覚がない。だから「感覚」の話にリンクした。しかし重要なのは暗闇ということではなく、彼らが死んでいることだ。彼らは死によって感覚を手放し、つまり感覚がなくなり…ないんだけども、「感覚がない状態」を通して、世界を感じる。この世界がきっと、一段違うところから見ている「真実の世界」だと思えた。