先天的努力

思い付いたので。

才能 と 努力 についてはよく語られる。しかし、その二つの間にはもう一つ…「先天的努力」があるのでは?

生まれ持った環境は先天的なものといえる。それを変える力は子供のうちはないので、それに順応して生きてゆくしかないのだが、そこでした「生きるための(無意識な)必死の努力」は先天的なものだろうか?後天的な努力と言えるだろうか?

私の答えは「中間」、例えば「先天的努力」とかの造語ができる。

で、子供が生きるために努力する、ということは、(肉体的にしろ、精神的にしろ)安心出来ない環境だったわけである。日本の「普通の、良い家庭」に潜むケースを挙げる。

「いい子にしてないと、親に捨てられるかもしれない」と無意識に感じている子供。なぜそう感じているか?答えは分かり易い。本人、いや家族…社会全体も気付いてないのだが、「いい子にしている時だけ、親が優しく誠実になるから」…ようは、「優秀な子」でいないと…または兄弟がいる場合、協力して親のご機嫌をとる役割を演じていないと、「うちの子じゃない」とか「育て方を間違えた(どうせ私は駄目な親だ)」などと言って、精神を不安定にしてくるのである。

さっきの、兄弟それぞれの役割、というのは、つまり「たのしい家族」を(やはり無意識に)お芝居するということである。全員ガリ勉じゃつまらないし、「良い家庭」は多少の苦難を乗り越えるものだから、「優秀な姉&ダメな弟」とか「真面目な兄&遊び好きの姉&ノンビリな弟」とか。

子供は基本的に、親に捨てられたら自分で稼げないので生きて行けない。彼らの機嫌を損なった結果、放置されたり殺されてはまずい(こういう発想を子にされる、一見立派だが実は不安定な親なのだ)ので、こういう子は親の面倒を見だすのである。なにか不穏な表情をしてないか常に伺い、その気配を察知したら必死でご機嫌をとる。そのご機嫌の取り方は前述の通り、子供によって様々だが、とにかくこの子は、親を置いて遊びに飛び出すことができない。10歳にもならないうちから、お母さんに心配をかけるから…と言う。

そんな子を見て、周りの大人は「いい子だね」と褒める。その子の親のことも「育て方が良い」と褒める。これで、この子は、親の機嫌が良くなりそうなのでひとまず安心するのである。

この”小さな子守さん”をさせられることが、タイトルの「先天的努力」のうちのひとつである。気になった人は「アダルトチルドレン」で検索してみましょう。

追記:ダメな弟や遊び姉といった役割の子供は「苦難を乗り越える良い家族」の前に「この家の問題は私にあります」と一身に引き受けている。本当は、家系脈々と続く愛情飢餓が問題であることを隠すオトリになっている。