やっぱり、親といると疲れる!

現在私は実家住まいなのですが、ここ数日、両親が出かけるということで留守番をしていました。

留守番なので、当然家事をすることになるのですが、仕事量が増えているにも関わらず、非常に穏やかで快適でした。肉体的にも精神的にも、イキイキでした。とてもリラックスでき、常に優しい気持ちでゆっくり過ごせました。「マイペースで居られるって素晴らしいな」と思いました。

そして数日後、両親が帰宅。彼らが帰ってきただけで、どっと疲れました。

家に入ってきて、姿が見えて、歩いている、その存在感だけで疲れてしまいました。毎日親のいる実家に帰ってくるので、慣れてしまって気づきませんでしたが、数日の留守番をした後だと、己の精神の揺れがよく分かりました。

しかも精神だけでなく身体の方も気分が悪くなる始末です。なんというか、彼らからは悪い空気が発されているのです。例えるなら、磁場が歪むようなイメージで、一人(と一羽)で静寂・安定・平穏だった空気が、彼らの発する電波で急にかき乱されたような感じです。

「ひとり」と違い、「他人と一緒」では当然気を遣います。それは分かるのですが、種類がおかしいのです。

例えば学校の仲間たちと過ごす時の「気を遣う」は、主に「対処」です。基本リラックスできて、何もなければ「気を遣う」精神状態になることはありません。

祖父母家に帰省した時も、家事や荷物運びといった「肉体の仕事」はやりますが、精神的にオドオドすることはありません。

その一方で、親に対しての「気を遣う」は「予防」がかなり大きい。ようは「彼らの気分を害さないように、常に気を遣う」のです。「親」と「自分」は別の人である、ということを実感しにくいのです。そうなると、彼らが存在しているだけで私の精神的な仕事が数倍に膨れ上がる、場合によっては0から10になってしまうのです。

「自我を眠らせておけば、苦しみはなくなる」…のですが、彼らからは私の自我を叩き起こす波動が出ています。それか私の自我は、両親に対してのセンサーが異常に発達してしまったとも言えるでしょう。両親といると、なぜか優しい気持ちでいることの難易度が上がるのです。…まあ、よくあるアダルトチルドレン現象ですね。

昔は、彼らのご機嫌に殺されていたわけです。そのおかげで、我が家以外では使えない精神の護身術とでもいいますか、常に警戒しておく癖が身についてしまった。

瞑想や説法を聞くことによって「自分はいないぞ」「無だぞ、大いなる存在に支えられて自由だぞ」と知っても、長年の精神的な癖を消すのは難しいようです。約20年間、脳が発達していく過程で毎日毎日影響を浴び続けたわけですから、数ヶ月の瞑想ぐらいじゃ根本的には解決しないみたいです。

あと約半年で社会人となり、ちょっと遠くへ単身引っ越せます。待ちに待った、一人暮らしができます。わが人生のリスクを管理する関係上、4年ぐらい待ったので、嬉しい限りです。そしてこれは、裏を返せば「身をもって“両親から受ける影響”を長期的に観察できるのは、これが最後(かも)」ということです。

そういうわけで、己の精神を観察しつつ、あと半年辛抱します。