私達は「情報」にすぎない

電車の中で、妊婦さんを見かけました。彼女の胎内には、そろそろ産まれてくるであろう赤ん坊が、逆さまに浮かんでいるのでしょう。

「胎内」と「胎外」には、大きな隔たりはありません。胎内と胎外は物理的になめらかに繋がっており、だから赤ん坊は(苦しい思いはすれど)この世の中に産まれてこれるのです。

「どこからが生命か」と考えるとき

さて、おなかの中の赤ちゃんは、「いつの時点から」生命なのでしょうか。

最初は受精卵です。そこから細胞分裂が進んで、だんだん人間っぽいカタチに近づいていき、最後には新生児として外界に出てきます。

「どこからが生命なのか」ということを想像する時、私たちは「いつから意識を持つのか」ということを考えます。

受精卵になった瞬間に、なにか魂のような自我が発生するのでしょうか。魚みたいな形になったあたりで、意識が芽生えるのでしょうか。人間っぽい形になったら感覚が起こるのかもしれない。

それは、今のところ誰にも分かりません。将来的には、胎児の脳波が分かるようになるのかもしれませんが(やめてほしいね)。

私たちが生命として意識を持つのは、遺伝子の働きによって脳が自動的に成長したからです。生命活動を維持するために必要らしいのです。我々に意識がなかったらどうなっていたかは分かりませんが、現状の我々の遺伝子というのは、そういう風にできている。

遺伝子とは、情報です。外見や病気の特質だけではなく、あらゆる形状や反応を生み出す「基礎プログラム」です。「音楽の才能がある」とか「イケメン」とかだけでなく、「脳はこれくらいの大きさ、腕はこういう長さになる」「胃は食べ物を消化する」「怪我をしたら、傷口に血小板を集める」などの外形や生理的反応も、ヒトをヒトたらしめる情報です。遺伝子がちょっと違ったらボノボとかになります。ボノボとヒトでは毛の量とか顔立ちなど色々と違います。

私達は、遺伝子の情報によって成り立っているのです。

私たちは情報である

私たちは五感で情報を受け取り、脳が司る心を感じます。赤いという情報、ざらざらしているという情報、怒りの湧いてくる感覚……。

遺伝子という情報によって肉体が成り立ち、「タンパク質である」という情報を持ち、「こういう性格である」という情報を持ち、その性格は周りの情報や遺伝子に大きく影響を受けている。五感という情報を知覚し、脳という情報網に基づいた心を感じている。私達はまさに「複雑な情報体そのもの」です。

「ここからは空気、ここからは肉体」という差異が人間に知覚できるから、私たちは人間として存在しているのです。「あるから、いる」のではなく「あると感じるから、いることになる」のです。空気と肉の境目が認識できない知覚の方法では、私たちはうまく存在できません。

例えば、36℃のお湯の中に私が潜るとして、精度の低いサーモグラフィくんは私を知覚できないでしょう。真っ暗な部屋の中に私がいたとして、聴覚も嗅覚も使えない生物には私がいるなど分かりはしない。

いくら存在しても知覚できない場合がある。相手が使える情報で処理されることができないと、その相手の中に存在できないのです。私たちの存在というのは、「情報として差異を感じられるかどうか」にかかっています。ですから、私たちの存在の本質は「情報」です。