空のすすめ

思索が一歩進んだので、記事を書きます。タイトルは「空(くう)」と読みます。

前ブログでは、「この考えは近々変わりそうだ」とか「これ言ったら嫌な気持ちになる人いるかな?」などと考えていたのですが、このブログではあまり考えすぎずに発信しようと思います。

苦しみにも楽しみにも意味はない

この世界に絶対的な目的や意義はありません。また、世界というものの存在自体も揺らいでいます。全ては、感覚が起きているだけです。何もよりどころのない世界で、人生です。一見すると破滅的・悲観的なようですが、これは悲しいことではありません。むしろ、穏やかで良いことです。

さて、何もない、意義も目的も特にないので、ひまですね。もし上手くいったら、あと60年とかでしょうか。

「とりあえず生きとくけど、生きてる意味ないよ〜」という話になってきます。

こうなると、めざす道はこんな感じになります。「どうせ意味ないのだし、最終的には死ぬのだから、苦しむのはやめとこう」

苦しいことは、苦しいので、やめましょう。世界に意味はないですが、感覚だけはあるのです。何もないのだから、苦しみにも意味はないです。楽しみにも意味がないのですが、そこまで行くと出家したくなるので、ひとまずは苦しみの方をやめておきましょう。 

思考を突き詰めると開ける、何もない世界

「世界に意味はない」「感覚だけがある」というのは、私の中では非常にしっくり来ているのですが、あんまり馴染まない人もいるかと思います。というより、そんなことは学校でも家でもテレビでも誰も教えない(まず大人も知らない)のが普通ですから、馴染まないのはある種あたりまえなのです。むしろ、よほど現世がいやになったとか、哲学や宗教に興味があるとかいう場合で自ら調べ考えないことには、ニヒリズムやらお釈迦様の教えやらには触れることもない、というのが実情だと思います。

抽象的なことを考え込むのが大事ですが、それは「おすすめです!」と言えるような楽しくて得するものではありません。ひょっとしたら、生まれつきの性格で得手不得手がある作業かもしれません。しかし、ここを通過していかないと、無限に湧いてくる欲求で永遠に苦しみます。

ひたすら考えて、「ああ、この世に絶対的な価値はないんだな」「全ての価値のものさしは、人間が勝手に決めた幻想なんだな」という結論が出たら、お釈迦様の教えを調べる。哲学やってニヒリズムからの仏教です。みんなやってみたらいい、案外早く楽になれるよ、と思いますが、無理強いはできないのが難しいところです。もし、生きるのが億劫だ、欲求が苦しい、などとは思わないのが圧倒的多数派だとしたら、どうしようもないです。

なんとな〜く興味があったら、「ニヒリズム」「止観瞑想」「悟りの階梯」とかでググると色々出てきます。たくさん出てくるので、中には間違いも混じってます。大事なのは、穏やかな気分でそういう記事を読むことです。

今日も空が綺麗でした。み〜んなが穏やかな気分になったら、この世から争いがなくなるかなあ、などと思います。