セクシャルマイノリティについて説明する

自分の認識で書いていきますが、曖昧でデリケートな部分も多いので、この記事は参考とかツカミくらいに思ってください。他の記事もネットとかで調べてもらって、色んな知見を見るのが良いと思います。

セクシャルマイノリティ

略称:セクマイ

別の言い方:性的少数者

関連:LGBT

とは、次の二つのうちどちらか、または両方を満たさない人のこと。

  • 自分が男または女だということは考えるまでもなく確実だ
  • 自分が男であれば女、女であれば男にだけ恋愛感情・性的欲求がわく

人間以外に恋愛感情が湧くとか、自分の性は人間じゃないという人をセクマイと呼ぶかは不明。

LGBT

レズビアン/ゲイ/バイ/トランスジェンダー の略。

女性の同性愛/男性の同性愛/男女どちらも恋愛対象(両性愛)/体の性別と心の性別が違う。

つまり、LGBTはセクマイの中の一部である。

例えば、「アセクシャル」や「ノンセクシャル」と呼ばれる、恋愛感情や性的欲求がないという人々や、「半陰陽」「インターセクシャル」という体の形自体が男か女に分けられない人々もいる。その人達はこのLGBTには分類不能であるから、LGBTはセクマイの一部といえる。またバイは「男女どちらにも恋愛感情を抱く」が、男女どちらでもない(セクマイの)人も恋愛対象の場合は「パンセクシャル(全性愛)」と呼ばれる。

よくある勘違い

男または女だということに確信がないのは、単に自信がないからではないのか

→生殖器の形が男女どちらとも言えない場合がある。また、心と体の性別に自信は関係がない。

心の性別については、体との違和感がなければまず実感しないものだから、違和感のない人への説明は非常に難しい。自分の場合なら、公衆トイレでどっちに入るべきか戸惑う、などの状況が起こる(男性用に普通に入りたいが…)。

*2021.09.23追記 / 現在は①男性のパートナーと一緒に暮らしている②定職に就いている と、この記事を書いた当時とは比べ物にならないほど「自信が持てる状況」だが、状況が大きく変わっても性自認は幼稚園時代から変わらずFTXのままで、人生を通して一貫している。

いわゆる変態ではないのか

→まず変態とは「変態性欲」の略で、「ふつうは欲情しないもの/ことに興奮する」という意味である。つまり「ふつう」をどこにするかによる。「同じ体の形をしている人間(=同性)に欲情するのは、靴や路上露出に欲情するのと同じくらいおかしい」とすれば、理屈上変態と言うことはできる。

とはいえ、現在の社会で「性的少数者は変態だ」などと言えば、勉強不足の老害認定されることは確実である。

私は肉体的同性…女を好きになったことがある。しかしその時の気持ちは、異性…男を好きでいる時と変わらなかった。気持ちとしては「ふつうの恋」だったから、それを変態と言われたら、好きだったその子に対しての侮辱だと感じる。あの子が魅力的だったから好きになったのであって、自分が変態だから好きになったのではない。

体の性別と心の性別が違う人については、それで興奮してるわけではないので、それについて変態ではない。

個人的疑問

「その人がトランスジェンダーだということを知らずに異性として好きになった場合『結果的にセクマイを好きになったからパンセクシャル』と言えるのか?」という疑問がある。

例えば自分はネット上ではFTM~Xだと公言しているが、リアル生活では打ち明ける人を選んでいる。つまり、自分の名前(どう見ても女の名)を知っていて、性別の事を打ち明けられていない人は、「ボーイッシュな女性」として見ているはずだ。仮に「ボーイッシュな女性」として自分を好きになった人がいる場合、その人は即ちパンセクシャル、になるのだろうか?

また、後でトランスジェンダーを知ったとして、「心は男なのか、じゃあ好きじゃなくなった」ということになるのだろうか?…全員がなる・ならない、とは言えないと思う。

このあたり、「同/両/全性愛者」と「異性愛者」の境界は曖昧だよなと思うのである。偶然や気づきの問題なのかもしれない。