飛ばない鳥…いいじゃない!

「女の子に生まれたのだから、オシャレをしないのは勿体無い」ということを、「飛べるのに、飛ぼうとしない鳥」に例えた文章を見かけた。

せっかくできるのに、できない者もいるのに、勿体無い…… と。で、いつものことだが、私はそうは思わない。食べ物を残して「もったいない」は分かるが、「できない人もいるのに、しないのはもったいない」は全然分からない。

善意で言ってるのだろう。その気持ちは有難い事だが、できること=したいこと、ではない。できても、したくないこともある。それは別にワガママではなく好みや気分の問題だ。それぞれができることの中で、したいことをすればよい。

飛べるけれど、飛ぶことを拒み、地面をテクテク歩く鳥……

他の鳥には「翼があるのに勿体無い」「鳥は飛ぶものでしょ」などと言われるが、頑なに「自分は飛びたくないのだ」と言い、呆れられても構わず歩き続ける。

……

この鳥、メチャクチャかっこよくないか!?

正直、こういう鳥とは親友になれる気がする。それどころか、この鳥と結婚してもかなりうまく行きそうな予感がある。ベッタリすぎずドライすぎず、いい距離で付き合っていけそうだ。

きっとこの飛ばない鳥は、鳥よりも犬や虫と友達になるのだ。私は犬派なので、黒い野良犬として友達になろうと思う。その鳥は、周りの鳥とは別の交友関係を持って、ほかの鳥が知ってることはよく知らなくとも、ほかの鳥は知らないことを知っているのだ。事実、あいつの話はほかの鳥の話よりも面白いワン。

この鳥は、多分すばらしい人生(鳥生)哲学を持っている。それで、飛ばないのである。例えば、「何も考えずに飛ぶことこそが翼の浪費だ」とか、「他の生き物は飛ばないのに、自分が何の苦労もなく飛べるのは理不尽」とか、何かしらキチンと考えているのだ。むやみに喋らないだけで、仲良くなれば納得のいく理由を話してくれるだろう。まあその「仲良くなる」が一番難しいパターンだ。

この鳥と、ドトールコーヒーで数時間喋ってみたい。こいつは絶対、私と同じく一番小さいシンプルなコーヒーだけを注文し、「先に行ってる」と端の席を取っている。本当に気の合う、いい鳥だ。ちなみにドトールコーヒーの店員さんはシャムネコなんかが良いと思う。

ドトールコーヒーの端の席で、その鳥が「やっぱり、飛んだ方がいいんだろうか…」「自分は自分、とはいえ鳥の仕事は飛ぶこと、それは間違っていない…」などと相談してくる。それは鳥が頑張って考えて決めなければならない。そして、そのことをこの鳥自身もよく分かっているのだ。答えや共感を求めているのではなく、ただ言葉にしたいだけなのだ。

そこで、黒い野良犬はひとまず「安易に飛ばないお前はかっこいいよ」とだけ言っておく。予想通り、返事はない。しかし、問題はないのだ。私はこの鳥の決断が何であれ、肯定してやり、応援するつもりだから。こいつは「なんとなく、皆飛んでるから」ではなく「飛ぼうか?飛ばないか?」普通は気付かないところについてウンウン悩んだ末に答えを出すのだ(ワンワンじゃないよ)。鳥生に真剣に向き合う、素晴らしい態度だ。私なんぞは、犬に生まれたんだから四足歩行が当たり前だと思ってるからまだ甘い。長らく悩んだ末の決断、飛ぶか飛ばないかは小さな違いである。私はこの鳥を、初めは「飛ばない鳥」として気に入ったが、今はもはや「一羽の鳥」として完全に認め、やはり気に入っているのである。「飛ばない鳥、かっこいい」だったのが、いつのまに「飛ぼうが飛ぶまいが、お前がかっこいい」になる。一羽と一匹の、熱い友情の話だった。

そういうわけで、「女の子だからオシャレしないと勿体無い」なんてのは、モブの鳥が第一話で適当に言うだけのセリフなんだから、気にしないことにしようじゃないか。