ヒーローを市民に変える2文字

だいぶ前、日本のメロデスバンド「Gyze」のライブを見に行った時の事です。

その当時、フロントマンRyojiのことは「Ryoji さん」と読んでいました。日本人で、Twitterもしていらっしゃるので、親近感があるのです。アーティストだけれど、どこか知り合いのような感じがして「さん付け」でした。

ライブは最高なものでした。そして、ライブが終わったら、彼の呼び方が変わりました。最後の2文字が取れることで、Ryojiはプロのギタリストとなったのです。

呼び捨てにされたらプロフェッショナル

「プロ」というと「それで生計を立てている人」ですが、「プロフェッショナル」と略さず言うと「素晴らしい技術・能力を持っていて、しかもそれで生計を立てている」にクラスアップする気がします(Ryojiはギタリストの傍ら普通の仕事もしてるって言ってたけど)。その意味を含めて、この見出し文です。

で、プロというのは呼び捨てにされます。「さん付け」をすると、「雲の上」から「近所の市民センター」に、インタビューを受けるため降りてきた感じになります。

  • 村上 春樹 …… 有名な作家だ!品のある書斎でインタビューに答えそう。
  • ハルキ・ムラカミ ……世界的な作家だ!!ホールで登壇して話しそう。
  • 村上 春樹氏 …… 文芸評論家っぽい。オフィスに呼んで話を聞く。
  • 村上 春樹様……株主のひとり。ダイレクトメールの宛先に書いてある。
  • 村上 春樹さん …… 近所のおじさんだ。犬と一緒に、立ち話。

明らかに違う感じになります。

  • Alexi Laiho ……最強のギタリストだ!!
  • アレキシ・ライホ氏 …… やっぱり評論家っぽい。
  • アレキシ・ライホ様……空港で迷子になったらしい。
  • アレキシ・ライホさん …… Youは何しに?

みたいになります。プロフェッショナルに「さん」や「氏」を付けると、急に一般人感が出てしまう。「様」に至っては、逆にネタ感が出てしまう。

これは一体なぜなのか考えてみます。

丁寧に呼ぶまでもなく

私たちがスターを呼び捨てにする時、その名前は「個人名」ではなく「キャラ名」として呼んでいます。

これは、まあ分かると思います。普通の人の名前を呼ぶときの「確認しながら読む感」はなくて、完全に固有名詞として、「アメリカ」とか「お釈迦様」「初音ミク」と同じノリで、気軽に名前を呼んでいます(今気付いたけど「お釈迦様」と「初音ミク」のイントネーション同じですね)。

で、普通の人を呼ぶときの「確認しながら読む感」とは「丁寧感」です。「さん」や「氏」は丁寧にする言葉だから、まずここで一般人感が出てしまう。

「ミクさん」からは三次元的な、ライブを見に行けそうな空気が漂います。天使だったのが地上に降りてきて、人間の匂いをさせ始めたという感じになる。「初音ミク」は汗もかかないしトイレにも行かないけど、「ミクさん」はもう少し私たちと近い生活をしていそうです。

スターに敬称はいらないのです。

偶像が本人を上回る時

そして、敬称抜きの「キャラ名」というのは、浸透すればするほど偶像を帯びていきます。自分と同じ人間ではなくなっていくわけです。

例えば、イエス・キリストのことを「キリストさん」とか「キリスト氏」などとは呼びません。「ブッダさん」は微妙にありえそうですが、やっぱり違和感はあります。

「自分とは違うスターなんだ」という認識(偶像)が、「自分と同じ人間だ」(一人格)を超えた時、その人には呼び捨てが似合うようになります。彼は人間からキャラクターになったのです。