ペットが人間に見える現象

実家に文鳥がいるのですが、やつは見れば見るほど鳥には見えません。

いや、形態はどこをどう見てもただの桜文鳥(ゴマ塩団子ともいう)なのですが、なんというか「人格」を感じるんですね。別に喋りも何もしないのですが、一緒に過ごしていくうちに、見え方が変わってくる。私の脳みそに「ぶんちゃん」という存在が、やり取りが、時間の密度が、深く深く刻み付けられてゆき、もはやただの鳥にはとても見えない。圧倒的な存在の深み、みたいなものを感じる。ここまで来たら、「可愛い」とか「もふもふ」「もっちり」みたいな表面上の言葉では、こみ上げる「凄まじい感情の圧」を表現することなど、到底できないのだ。

で、私は新社会人なので一人暮らしを始めたわけです。実家を出て初めて、約1ヶ月半ぶりに帰省してみました。メイン・コンテンツは、ぶんちゃんです。

帰省初日、ぶんちゃんは私の事を「忘れていた」のか「捨てた奴として認識した」のか、とにかく噛みまくってきました。家を出る前に、やつの嫌いな爪切りをしてやったので、その記憶が強く残っていた可能性もあります。「あらら〜」と思いましたが、翌日にはなんとか思い出してくれたようで、無事にぶんちゃんの胸毛に鼻を埋めて、匂いを嗅ぎまくることができました。

ずいぶん前、2週間ほど一人旅に行った時は、問題なく覚えてたんですがね。ぶんちゃんも年なんですかね。それか、脳みそが推定5ミリ~1センチぐらいなので、2週間が記憶の持つ限界なのかもしれません。

ところで、帰省してパッとぶんちゃんを見た時、なんだか違和感がありました。

ただの鳥のように見えたのです。

おかしいなぁ。あんなに、ただの鳥には見えなかったのに、何でだか、ちゃんと鳥に見えました。

噛まれているうちに、だんだん、少しずつ奴の人格が見えるようになってきました。翌日も指に乗せたりして、ようやく以前のように、鳥には見えなくなりました。その頃にはちゃんと目も合って、お互いの存在を思い出したようでした。最初のうちは「お互いに」うまく認識できなかったようでした。

ひょっとすると、初日にぶんちゃんが「ただの鳥」に見えてしまったのと同じように、ぶんちゃんも私が「ただの人間」に見えたのかもしれません。撫でられるうちに、「ただの人間には見えず、鳥格のある奴」な見え方を思い出してくれたのかもしれない。

「脳みそ5ミリだから2週間が限界か」なんて言いましたが、私も同じようなものなのかもしれません。