苦手なことを制限する/芸術と哲学は似ている

「やり方を確立する」「得意を伸ばす」とは「苦手な事と決別する」ことなのだ。

満遍なくとか、こだわりなくとか、ほどほどにとか言ってるようじゃ、優れたアイデアは生まれない。良い閃きは、制限の中でうまくやろうと工夫することで誕生する。自分にとって苦手な事は、いっそ禁止にする、すなわち「制限」すれば、自分にとって楽かつクオリティの高い優れたやり方を思い付くことができる。

芸術家は瞑想をしない方が良いのかもしれない。瞑想を続けると、一段高いところから世界を俯瞰的に見られるようになり、頭がスッキリとし、非常に安心する。この「安心感」によって私は随分と生きやすくなったが、あまりにも安心しすぎてしまい、何事も(良くも悪くも)テキトーになっていった。もっと若い頃は殆ど完璧主義者だったから、丁度よくなったという見方もできないことはないが。

芸術的であること、それは哲学の側面を含むと思う。

目に見えないもの、一銭の価値にもならないものを探している。「自分には確かに触れられる、納得のいくイイもの」。周りの奴らにとってはゴミかもしれないが、自分にとっては一大事なのである。強迫的な行動かもしれない。

闇の中で、その先端に触れる。凝視し、なぞり、似ている物を思い出す。これは1つなのか、複数なのか。本を読んでヒントを探す。そうする中で、バラバラだった情報が繋がりを持ち始め、その全容を掴むことができた時、大きな達成感と喜びと安心を得る。芸術と哲学は、出力される形こそ違うが、営為の本質は殆ど変わらないと思う。