ポジティブ/ネガティブ というと、ふつう「コップ半分の水があるときにどう捉えるか」という風に使われます。
しかし「今の事象をどう捉えるか」ではなく「未来への意思をどう条件化するか」というポジ/ネガもあるように思えたので、記事を書きます。
○○すれば、××できる
「○○すれば、××できる」
という風に思うのを、この記事ではポジティブな条件付けと呼ぶ事にします。逆に
「○○しなければ、××になる…」
というのは、ネガティブな条件付けと呼ぶ事にします。
で、ポジティブな条件付けをする方が、気分が良い上に行動に移しやすい。という主旨です。
例えば「料理教室に通うかどうか」決めようとしている場合…
「料理ができるようになれば、食費は抑えられそうだし、モテるぜ!」
と考えるのがポジティブな条件付けで、
「料理もできないんじゃ、友達に見下されるし、結婚もできない」
などと考えるのがネガティブな条件付けですね。
ネガティブ≒やらされている感
なぜポジティブな条件付けの方が行動に移しやすいかというと、単純にワクワク感という要素もありますが、自分の意志で選んだ感が強いからという理由もあります。
ポジティブな条件付けの「いい事がありそうだから、そっちに行く」という行動原理は単純です。しかし、ネガティブな条件付けの場合「悪い事がありそうだから、備えるために行動する」という構図になります。つまり何か悪い事に「備えさせられている」「逃げるためにやる」という感覚が出てきます。
で、この「備えさせられている」「逃げるため」というのが「やらされている感」ですね。やりたくないけど、仕方なくやってあげる。自ら追うのではなく、嫌なものに追いかけられる構図です。
でもよく考えてみたら、最初は「料理教室に通うかどうか」という純粋な、ニュートラルな検討だったにも関わらず、ネガティブな条件付けをすることによって、いつの間にか「やらされている感」が出てしまう。誰に強制されたわけでもないのに、自分の考えによって、「やらされている感」が発生してしまう。いや、厳密には「(自分の脳の中にある)世の中にやらされている感」、なわけですが。
都合の良い人
やりたくもないことを何故やるかといえば、それが世間的に、または他人から求められている事だからです。
ただのニュートラルな選択肢でも、ネガティブな条件付けを行うと、自分で選んだのではなく世の中にやらされている感が出てしまう。これが何を意味するかというと、自分がなくなるということです。言われたから、やっておく。やった方が良いって皆が言ってるから、やっておく。
実際にこんな思考はしていなくても、ネガティブな条件付けによって、なんでもない選択肢が「お前は都合の良い人間だ」という呪文に変化してしまう。
何かをやろうかな、という気になった時に毎回「それは世間的に得だろうか」という思考が自動的に湧いてくると、自分で思い付いてワクワクするはずの「やる気」が「やらされている感」「自分のない感覚」に変化してしまう。
何かをしようとする毎に、自ら勝手に「しょせん、自分は“良い子”にしかなれないのだ」「都合の良い人から抜け出せない、軟弱な存在なのだ」という観念を生成してしまう。この「自分を消す自動装置」は取り外すことができるのか、これから実践してみます。