現在転職活動をしていて、様々な心の動きがあります。
心の諸行無常
感情、心、気分…というものは、変わりゆくものです。そりゃそうなのですが、最近それを改めて強く感じています。
今までは「変わりゆく・儚いからといって、それがないわけではない。無常と言いながらも、瞬間瞬間で感じるものは感じるから苦しい」という感じだったのですが、最近は「本当に勝手に変わりゆくのだなあ…であれば、自分で勝手に気分を変えても良いんだなあ…」と、そのコントロール可能性が見えてくるようになりました。
同じ状況でも気分は変わる
そんな中で己の感情を観察していたら、あることに気づきました。
「状況は変わらないのに、自分の気分だけが(なぜか)変わっている」という状態にです。
例えば、「応募した企業からの連絡を待っている」という状況があります。その状況自体は長時間変わらないのですが、その間にも緊張したりリラックスしたりと気分だけがコロコロ変わっていきます。
「現在、無職である」という状況も長時間変わりませんが、その中でも焦ったりノンビリしたり楽しかったりと、精神状況は毎日変わっていきます。
状況が原因で→気分がある、そんな気がしますが、実際はそうではない、と気づきました。今現在、何に意識を向けているかで、気分というのはコロコロ変わるのです。たった今の意識のありようで気分は変わる。しかしその時の状況や記憶が意識に介入してきて、気分に影響を与える。
無駄だなあ、
と思いました。状況は同じなのに、苦しんだり楽だったりしている。側から見れば同じなのに、本人の頭の中だけが苦しんだり焦ったりしている。だったら、楽な方をいつも選択し続ければいいじゃないか…と思いました。
もちろん、頭が痛いとかトイレに行きたいといった身体からの苦しみであれば、即対応すればいいと思いますが、精神的に苦・楽どっちを選択してもいいような状況であれば、自分勝手に楽を選択してやれば良いんじゃないかと。
今無職で、「どうしよう」と焦ることもできますが、特に焦らないこともできるわけです。今連絡待ちで、「必ず電話を取らなきゃ」と身構えることもできますが、「取れないときは取れないさ」と身構えないこともできる。
頭の中は自由で、人生も自由、ならば気分としては楽な方を向いて、自分にとって都合の良い気分を選択してもいいのではないか?と。
例えばインフルエンザで会社を休んでいるとして、「会社を休んで、俺はダメなやつだ」と自責の念を持ちながら鬱々と休むのと、「やった!布団で寝ながらアニメを見るぞ!」と喜びながら休むのでは、どっちが良いかという話です。「インフルで休んでいる」という状況は側から見れば同じです。
最近は「自由」という概念が頭をよぎることが多くて、もう少しで何だか掴めそうな感じがしています。