1993年4月24日は、初夏の訪れを感じさせる陽気だったらしい。予定よりも遅い日に、時間をかけて生まれてきたようだ。
今回の記事は、いつも以上に私的で、ただただ思い出や感慨に浸るという趣で書き進めるので、まったく何の役にも立たないだろう。しかし、役に立てるつもりがないものが沢山落ちていた、かつてのインターネットが楽しかったから、私もここに置いておくのだ。
目次
案外いい感じの気分だ
25、26歳くらいの時は「いや〜二十代後半になっちゃったな、三十代にはなりたくないな〜」と思っていた。27、28の時は「だんだん三十路が近づいてきたが、そんなに嫌でもなくなってきたかな」という心境になった。29歳も終盤になると「新しい区切りで0からのスタート、いい感じだ」と三十路を迎える準備は整えられた。
「二十代」「若い、若者、若手」という称号が、本格的に無くなる。しかし意外なことに、その称号が消えることについては、かなり前向きな気分だ。むしろ、変な期待感や競争させられる感じがなくなって、ようやく自由に近づけたという解放感がある。30年生きてこれれば、生き物としては上出来なのだろうか、子孫は残していないのに「よし、勝ったな」とでも言えそうな満足感がある。40、50と更に年を重ねれば、もっと解放感があるのかもしれない。
充実した二十代だったな
私の20代は、大きく期間で区切れば以下のように分けられるだろう。
- 20〜22歳:COB期
- 23〜24歳:専門学校期
- 25〜27歳:仕事期
- 28〜29歳:結婚期
どの時期もそれぞれ充実していたので、一つ一つ振り返って懐かしむことにする。
20〜22歳:COBの思い出
16歳の時に鬱で不登校となり、しばらく薄い時間を生きていたが、20歳になる直前にChildren Of Bodomというメタルバンドに出会った。彼らの4thアルバムを初めて通しで聴いた時の衝撃は、ほんとうに素晴らしかった。これほどに引き込まれ夢中になれる美しい現象が現実にあるとは思わなかった。今後の人生であれほどの感銘を受けることはもうないだろう。購入しても当時は2,400円、ツタヤで借りたら100円のアルバムだったが、この1枚から私の人生の質も生涯賃金も、私の周りの人間の人生の質も変わったのだから、ある意味これ以上の投資はない。
COBのグッズを買ったりライブに行きたくてアルバイトをしたし、名古屋にライブ遠征に行ったのが原体験になって、一人旅が趣味になった。バイト中には客にひどいことを言われたり、マネジャーから嫌な扱いを受けて、泣きながら帰ったこともあったな。今になっても接客業に進んで就きたいとは思わないから、結局向いてなかったが、いい経験にはなった。
名古屋公演に夜行バスで行った日、夜に実家を出て電車に乗り、空いた車内で座っていた時は不思議な気分だった。不安と楽しみとすがすがしさがあった。初めて見たライブは、最初にアルバムを聴いた時の衝撃よりはこぢんまりとしていて「こんな感じかあ」とも思ったが、目の前にメンバーがいて演奏しているというのは驚くべき体験だった。スローな曲を歌うアレキシの姿は美しかったし、マイクを通さない彼の声は天使かというくらい透明だったな。
Twitterで知り合った友人の家を経由しつつ、12日間の一人旅をしたりもした。あの旅のことは今でもよく思い出して、しみじみとする。日光東照宮の展示室で「遠くから来たね、気をつけてね」と言ってくれた係員のおじさん、震災からの復興が進みつつある気仙沼市の様子、下北半島で食べた5,000円のマグロ寿司ランチを握ってくれた板前さん、北海道で知り合った新しい友人、バスに間に合うように炎天下を走った新潟の津南町で道を教えてくれた美容院の兄ちゃん。こう書き並べると、じ〜んとしてくる。新しい出会いや経験によって、新しい考え方をインストールしていた時期だ。
自分もいっちょまえに働けるし、一人で遠くにも行けるという体験を初めてして、案外できるんだなあと自分自身に驚いていた時期だった。この頃はまだ、夢と現実の区別がつかない子供の感覚で生きていたと記憶している。
23〜24歳:専門学校の思い出
新宿のデザイン専門学校に入学し、その後無事卒業できた。この二年間はとても楽しかった…。かけがえのない親友ができたし、他のクラスメイトの連中も愉快だったし、授業も割と楽しくて、学校の良い機材で好きなだけ色々作れた。COBのライブを大阪で見るために授業をサボって帰りの新幹線からそのまま登校したし、卒業制作展では実行委員長に立候補して任務を全うできたし、一番肝心であった就職も無事にできた。何も言うことはない、とても良い思い出だ。
2年生に上がる頃、子供の時から少しづつ進めていた哲学的思索に変化が起きた。どちらかというと西洋哲学的な考え方がメインだったのだが、その最終到着地であるニヒリズムにたどり着いて、「なんかおかしくね?これで終わりなわけないぞ」と思ったら、仏教すなわち東洋哲学にワープしていた。瞑想を試してみたら結構良くて、頭がスッキリし、「人生のドラマ(自分の人生をドラマティックでかけがえのない現象と捉えて、その劇的さに溺れる態度)」は無事に終わった。このあたりから子供の感覚が徐々に抜け落ちて、現在進行形でだんだん大人の感じに生え変わってきていると思う。
この時期で一番大変だったことは、Web会社のデザインアルバイトで仕事が終わらず、学校で授業課題を急いで終わらせて内職をしていたこと。それと同じくらい大変だったのは、性別違和を持ちながらの就活。卒業制作展の準備や就活用の作品作りは、ただただ楽しかったので、苦痛が大きかった上の2つと比べると「大変さ」という意味ではそうでもなかった。
一番楽しかったのは、卒業制作展の委員で放課後に作業し、小腹満たしに肉まんを買ってみんなで食べたこと。それと、普段の授業や休み時間。体育祭のダラダラした感じも楽しかった。夏休みや春休みに、友人とまたは一人で旅行に行ったのも良かった。総じて、さっきの大変ポイント以外は、ただただ楽しい幸せな時間だったな。いい思い出だ本当に。この頃についても、しみじみする。
25〜27歳:仕事の思い出
仕事は今もこれからもやるので「思い出」ではないのだが、時期としての思い出はある。新卒で就職した会社は、千葉にある教育関係のベンチャー(?)企業で、新設されたデザイン部で働いていた。結構仕事には満足していたが、ある同僚が私の精神的地雷を踏み抜いてしまい、鬱が再発してしまった。とはいっても、前回の鬱経験がある上に「人生のドラマ」も終わっているので、薬を飲んで休めばきっと治るという感じの気分ではあった。
転職期間中にCOBの解散ライブを見にフィンランドに行った。このタイミングは絶妙で、もし普通に働いていたら無理…とまでは言わないが結構厳しかったろうし、仮にささっと転職先が決まっていれば有休がないから完全に無理だったろう。
転職先の神奈川で二度目の新生活が始まり、今の職場に勤め始めた。前職と比べると、専任の事務職がいないのでデザイナーだけど事務作業もやるし、新人だから電話も取るし、でもデザイン提出までのスピード感は前職の何倍も速いし、誰も何も教えてくれないので、最初の3ヶ月は訳がわからない事だらけ、毎日頭が疲弊しきっていた。ブラックとは言わないが、ホワイトでもない。ただ、この大変さを乗り越えたら社会人としては結構しっかりした感じになったので、“結果的には”良かった。こういう「状況そのものは良くはないが、その経験によって将来楽になる可能性がある(しかし人によっては、ただ疲れるだけの場合もあるだろう)」ということは、どういうニュアンスで伝えるべきなのか悩ましい。単に「成長できたので良かったです!!」と言い切るのは無責任だと思うが、といって「状況そのものはしんどいのだから避けるべきだ」というのも、相手の可能性を奪いかねない発言なのである。
この会社での仕事で一番よい経験になったのは、客先での打ち合わせや撮影対応など、直接クライアントに会って仕事を進める体験だ。打ち合わせは、お客さんの話を聞いて内容を把握し、何をどう作ることで、最後にはどんなものができるか、その結果何が起きるかを擦り合わせる。撮影は、印刷物やwebサイトを作るとなると、その会社の人が働いてる姿や仕事道具などを撮影して掲載したいことが多い。そこで、自分で作ったデザインのプリントを持って社外カメラマンと一緒にお客さんの会社に行き、こういう構図で撮ってほしいなどと伝えて素材を集めていく。各方面・各方向への視野を保ちながら、対人折衝し、ミッションをきっちり達成するのは、最初は当然できなかったが、場数を踏むごとに慣れてだんだんできるようになった。
だんだんと仕事に慣れて余裕が出てきたところで、「そろそろ婚活でもやるか」という感じになった。すごく結婚したいというほどでもなかったが、四十代、五十代を一人で過ごすのも暇だろうなあという感じだった。自慢じゃないが私は全然モテないので、二十代というカードが使えるうちに結婚しとかないと、後で結婚したくなってもできないだろうと予想して、とりあえずマッチングアプリをいくつかやってみた。そうしたら、案外早く相性が良い人と出会うことができた。
私にとって「付き合う」とは、人間として互いに密接に真剣に向き合うという事であるから、付き合う先には「結婚する」も想定されるのが当たり前という感覚であった。そういう意味で、結婚を目的とした人を絞れるサービスを使ったのは、遊び目的が減る分やりやすくて正解だったと思う。
28〜29歳:結婚の思い出
まだ結婚して数年しか経っていないが、やはり人生全体で見てもかなり大きい変化をしたと思う。「すごく結婚したいというほどでもなかった」のだが、今は結婚して本当に良かったなと思っている。
同じような視点で世界を見ていて、同じような思考をしていて、同じような趣味がある人と一緒に生活するのは、楽しいし、安心できることなのだ。そういうやつは、ずっと一緒にいても全く疲れないし、私の言うことに対して思考回路までしっかり理解した上で意見を言ってくれるので、話すのが楽しい。
結婚システム自体による恩恵も案外と多く、結婚指輪をしていることで恋愛話を回避できたり、家が繋がることで土地の縁が増えたり、互いの人生のリスクヘッジになったり、生活費が抑えられたりする。まあリスクはある意味では増えているし、縁が煩わしく思うこともあるだろうが、私にとっては総合的には結婚の恩恵がデメリットを上回っていると思う。
元々、私は結婚にあまり興味はなかったのだが、前述の専門学校で出会った親友が「子供が好き、母親になりたい、結婚して家庭を持ちたい」というタイプで、そういう話をずっと聞き続けているうちに「私も一度くらい結婚してみれば、人生経験になるだろう」と思うようになった。子供に関しては今でも、自分と血の繋がった子供は欲しくないというか、そのような存在を新しく開闢させたくない。存在が始まるというのは、死ぬよりも重大なことだからだ。ただ、結婚はして良かったし、死ぬまで夫と楽しく暮らせたらそれは幸せなことだと思う。
(たぶん)楽しい30代の始まり
一般論としては、若さと経験のバランスがとれて体力もそこそこある働き盛りであると同時に、体力や知力の衰えが少しづつ始まっていく年齢だ。その衰えが始まっていると実感する瞬間がたまにあるが、ここで若い時の感覚にしがみつかず、力を抜いて適応するのが大事だと思う。若い頃が一番楽しかったという人種と、歳を取ってからの方が楽しいという人種がいる中で、年寄りフェーズが始まっていく分岐点になるのだろう。
今までの人生をざっくり見ると、若い時ほど自信がなくてシンドイ思いをしていたので、仕事もプライべートも基盤ができたところから始まる30代は、今までで一番のびのびと楽しく過ごせると思う。これまでの人生を腐らずに生きて、何とか経験を積み上げてこれた自分を褒めたい。