ニヒリズムから瞑想へ

突然ですが、私は仏教徒ではありません。新しいブログを開いていくつか記事を投稿しましたが、なんとな〜く仏教っぽい箇所が多いですね。空とか無常とか。誤解があるかもしれないと思ったので、今回の記事を書きます。 仏教の目指すとこ…

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「笑顔にしたい」という暴力

「笑顔あふれる〇〇学校」 …などという標語が流布しています。 笑顔というのは、楽しいとか嬉しいといった感情の発露です。逆に言えば、そういう笑いたくなる感情が起こらないと笑いません。感情と表情は、元々は単なる反…

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空のすすめ

思索が一歩進んだので、記事を書きます。タイトルは「空(くう)」と読みます。 前ブログでは、「この考えは近々変わりそうだ」とか「これ言ったら嫌な気持ちになる人いるかな?」などと考えていたのですが、このブログではあまり考えす…

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コイビトなるものと劣等感

今自分には恋人がいない。意中の相手もいない。つまり完全フリーだ。 フリーなのは、まあ、いいことだ。自分の好きな時、好きなところへ、独りで遠慮なく行ける。SNSでやり取りしたりオフ会に参加するのも、全く自由だ。それに、自分…

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デザインとアートと

過去記事「絵への姿勢」で書いた通り、自分は絵を描くことに楽しみを見いだせなくなっていた。 そこには、周りの評価を気にする疲れや、他の作品に触れての劣等感や、仕事にすることへの気負いなどがあったのだろう。ただ、最近別のベク…

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自分の夢に気付くのは難しい

「小さい夢に起こるジレンマ」について 社会には、「現実vs夢」という構図がボンヤリとある。すなわち「サラリーマンとしてまあまあの生活をする vs 自分のしたいことで生活する」という人生選択だ。 たいてい、前者が難易度が低…

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感覚と真実 2

過去記事「感覚と真実」と内容は違いますが、使う言葉が同じになったので関連付けてみます。 「心」「心の性別」といったものは、存在するのだろうか? ヒトは何かを「ある・存在する」と言う時、色々な感覚を使って判断する。または、…

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上辺のやつらとテリトリー

最近自分は人間関係であまり悩まなくなったなあ、と思索した結果できた文章です。 あまり悩んでいない。それは、皆ととても仲が良い…ということではない。実際、そうとは思えない。逆だ。距離が取れていて心地よいということだ。皆と、…

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