
2000年代に少年ジャンプで連載されていた漫画「DEATH NOTE」の原画等の展示を見にいってきました。
昨年も開催されていたようなのですが、情報が届かず行きそびれていたため、見に行けて大変嬉しいです。
内容は非常に良かったです!期待以上のボリュームで、正直いって感動しました。今まで見た絵画系の展示で一番よかったかもしれないレベルです。
「デスノート」は私が中学の時にはまり、単行本や設定本を全部買った作品です。ストーリーが死ぬほど面白いのもありますが、何より当時から絵の美麗さに惹かれ、何十回も読み返しては気に入ったコマの模写をしていました。ですので小畑健は私にとって絵の先生の一人です。
小畑氏はデスノートの前には「ヒカルの碁」、後には「バクマン。」の作画を担当されている、ジャンプの看板とも言える漫画家です。看板になる理由は単純明快、とにかく画力が高い。個人的に「“動”の村田雄介、“静”の小畑健」と思っています。
一枚イラストと漫画の最大の違いは「漫画はいろいろなアングルからさまざまな角度のキャラクターを描かなければならない」だと思っています。当然、さまざまな角度から見た、さまざまなポーズや服装の人物をしっかりと描き切る、凄まじい画力です。
デジタルソフトで描かれた絵は「どこまで信じていいのか分からない」感覚があるのですが、アナログ原画は誤魔化しが効きません。純粋なデッサン力や構成力でぶん殴ってくれて、爽快で嬉しい気持ちになりました。
私は、言いくるめられるのは嫌いですが、論破されるのは大好きです。嘘のない実力が目の前にある安心感です。メタルバンドの超絶技巧をライブで見ている時の嬉しさとも通ずるものがあります。
線に迷いが全くなく、曲線カーブが大変美しいです。コピック(マーカー)の滲みない切れ味からも筆の速さを感じました。1コマ1コマの髪の流れや服のシワが美しすぎて、週刊連載でこれを描き切る手慣れ感と筆の速さに驚愕しっぱなしでした。一部の原稿は若干線が細くてふにゃふにゃな感じでしたが、おそらく体調不良か何かだったのでしょう。実線に命が宿っています。
この領域には、漫画家など「一日のメインが漫画を描くこと」でないと辿り着けないのではないかとも思いました。
一枚カラー絵の構成力も物凄くて、中近世の宗教画やアールヌーボーからの影響が強く見て取れます。やはり、時代が変わっても通じる迫力や魅力は後世にも受け継がれていくもので、小畑健もまた絵画の歴史の中に組み込まれているのだなと染み入りました。
「何も描かないスペース」のバランスと思い切りの良さが鮮やかでした。あえて大胆にとられた空白は、光の表現となって、紙の白以上に明るく輝いているように感じさせるものです。
また「描かないことによる表現」すなわち、影や光のみで稜線を表現することが凄まじく上手く、「脳内にある3DCG」のクオリティが段違いだと感じました。
色々なプロのイラストを見ていると、案外ざっくりとした筆致で描かれていることが多く、自分は丁寧に描きすぎでタイパが悪いのではと思うこともありました。しかし、小畑健の非常に丁寧な線画を見て(小畑先生は丁寧な上にスピードもあるので別格ですが)、自分のようなスタイルでも良いのだ、これからも丁寧に描こうと思えました。
そして、自分の絵のタッチにも小畑健の影響が出ているのを改めてよく感じ、嬉しく思いました。
デスノート以外の作品の絵も少しありましたが、小畑健の「静かで、整っていて、写実的で、美麗な」タッチは、現代社会を舞台とした頭脳サスペンスに宗教的要素を加えた「DEATH NOTE」でこそ、最も生かされていると改めて感じました。
絵を描くとき、たくさんの色を使わなければならない(色々な色を同時にコントロールできるのが偉い)ような気になることがあるのですが、その前に「画風と色数の相性」があると感じました。
ダークな作風やヘヴィメタルが好きなことについても、全く忖度せずに好きでいて良いとも思えました。Children Of Bodomの曲を聴くと「これでいい」と思えるのと同様に、小畑健の原画も私に「これでいい」と感じさせる力がありました。
帰り道、十何年ぶりかに流れ星を見ました。今日は非常に良い日でした。

