私は恋愛がよくわからない陰キャである。配偶者も同じく、恋愛を諦めた陰キャだ。結婚してから4年弱経つが、陰の者同士で結婚するメリットが想像以上に大きかったので説明する。
恋愛市場から「卒業」できる
実際のところ、私は恋愛とは何なのか未だによく分かっていない。もはや、精神的にはチー牛童貞大学生とほとんど変わらないと思う。ちゃんと付き合った人数も今の夫1名のみであるから、私の恋愛偏差値はかなり低い。恋愛市場を学校で例えると、単位を落として落第になったり、非行で退学させられるかもしれない。
それなのに、結婚さえすれば何故か自動的に「恋愛市場学校」を「卒業」した扱いとなる。
これは本当に不思議な話だ。恋愛偏差値がメチャクチャ高い陽キャですら、いつまでも遊んでいて結婚しなければ「卒業」扱いにはならないのである。
恋愛市場から卒業した瞬間、対人関係のルールがひっくり返る。それまで「最終的に結婚するため、なるべく異性に興味を持って恋愛したがるのが良い」とされていたのが「不倫は悪なので、あまり異性と親しくしすぎない方が良い」になる。同性に関しては結婚前後で扱いが変わらないが、同性愛者であっても、パートナーシップ証明書の提出で心境の変化は起きそうである。ちなみに私は両性愛者だ。
で、これは本来的にはおそらく「托卵」を避けるための風潮なのだが、実際には子供がいてもいなくても不倫は悪とみなされる。私たちは子供を産むつもりがないが、それでも「卒業証書」は有効であり続けるし、周囲の人間も「卒業生」としての品行方正な役割を期待するようになる。
このように、結婚によって恋愛市場から「追放」され、自動的にゲームチェンジが起こるのだが、恋愛ができない陰キャにとってはルールが変わった後の世界の方がかなり生きやすい。恋愛がよくわからないのだから、「恋愛はしない方が良い」とされている方が有能風に見せやすいのだ。勉強が壊滅的にできない学生にとっては、「勉強より恋愛・遊び」の風潮が強い学校のほうが楽しいのと同じである。逆に恋愛偏差値の高いモテモテ人間は、特殊スキルを1つ取りあげられるようなものなので、結婚前の世界の方が生きやすいのではないか。
恋愛が好きなら結婚しない方がよく、恋愛が嫌いなら結婚する方がよい、という一見すると奇妙なパラドックスが生まれている。ただ、これは恋愛と結婚を一直線上のものとみなすから起こるパラドックスであり、全く違うゲームであると見れば特におかしな現象ではないことがわかる。
「余計なこと」に脳のリソースを割かずに済む
結婚当時は会社員、現在は個人事業主として働いているが、仕事においても結婚の恩恵は非常に大きい。結婚していなければ、先述の「なるべく多くの人に興味を持つのが良い」ので、仕事相手に対しても数%は「恋愛に発展する可能性」を認識することになる。これはたいへん面倒である。
一方、結婚していれば、それは「考えない方が良いこと」になる。常にメモリを食っている数%の山がすべて解放されるのはとても良い事だ。仕事中は、仕事のことだけを考えるのがよい。
さらに、もし仕事相手から恋愛的な意味で気に入られたとしても、「結婚しているのでダメです」という最強カードを切ることができる。このカードは「法律」だけでなく「世間様」も認める破格の性能で、使用者側にデメリットが無いうえ、断られた側の心理ダメージまで減少できる万能ぶりである。さらに、結婚指輪を装備することで、このカードの効果は試合開始前から自動で発動できる。
つまり、結婚指輪をしているだけで様々な面倒ごとやリスクを軽減できるのだ。「むしよけスプレー」と「ピッピにんぎょう」を合体させて常時発動しているようなもので、快適である。
これにはマウントの無効化という側面もある。私の夫は、会社の飲み会で「おっ、こいつインキャやん!彼女でマウント取ったろw」というクッソ残念な攻撃を受けていたようなのだが、結婚している事実を認識させるとマウントがすぐ収まるようになったらしい。結婚した相手がどんなに変人であろうが「結婚しているという事実」だけで何故かマウントが取れなくなるようだ。女性社会では結婚後も彼氏や旦那の性能でマウントが始まるようだが、男性社会における「彼女・嫁」とは単なる記号なのだろう。
再現性が低いのがネック
では早く結婚しようと思っても、すぐに適切な相手が見つかるわけでもない。ここはどうしても個人同士の相性やら流れがあるので、再現性がないのがネックである。
とはいえ、人生とは再現性がないものや選択権がないことばかりであり、結婚相手は比較的選択権がある方だと思う。例えば、親や生まれる家の環境を選ぶことは全くできないし、担任の教師を選ぶこともできない。就職先は選べるが、入ってみないと分からないことが多く、部署や上司も選べない。
これらに比べれば、結婚相手の選択はかなり自由度が高い。結婚前に付き合うことで、ある程度の相性確認もできるし、最悪の場合でも離婚すればバツイチになれる。バツイチ、バツニは恋愛市場の外側に出るかどうかの選択権が与えられている、珍しい存在である。市場の外に出たい場合は「もう結婚(恋愛)には懲りた」と言えば、結婚指輪ほどではないにしろ、ある程度の威力は出せる。バツサンまでいくと逆に恋愛が好きなのではないか?と思うが。
「モテるかどうか」と「結婚できるかどうか」は、関係はあるがイコールではない。モテるとは広い範囲から恋愛的な好感を得ている状態だが、結婚するために必要な相手は一人だけである。つまりモテなくても一人に気に入られれば全く問題がない。休日の過ごし方(趣味)が同じとか、考え方や視座が非常に近いとか、同じ宗教である、あるいは顔や匂いが好きすぎるなどの一点集中で突破できる。
共同生活において最低限の収入は必要だが、子供を希望しなければ、それぞれが自分の生計を立てられるだけ稼いでいれば問題ない。あるいは片方の稼ぎが良ければ、もう片方が家事をする形でも成り立つ。子供がいなくても、結婚していることのメリットは上記の通り非常に大きい。というか私にとってはむしろ、子供は夫婦間の軋轢を生む危険性を高める=離婚・不倫の合理性を高める=恋愛市場に近づけさせられる、危険因子ですらある。あいかわらず「子供が欲しい」という直感が降りてこないが、子供が欲しい人は「あいかわらず『子供はいらない』という直感が降りてこない」などと悩まないと思うので、私も特に悩む必要はないのだろう。
そういうわけなので、恋愛がよくわからない陰キャには、モテではなく一点集中で結婚することで、恋愛市場から早急に離れ、快適な「卒業生生活」を送ることをお勧めしたい。