これまで何度か書いたように、私には「反存在主義」とでもいうべきエフィリズム的な感覚(思想)があるのだが、それと同時に、目の前にいる動植物に対していつも「ニコニコ」している。
道で出会うハトやヒト、家の周囲に生えている草、家の中に出るクモなどに対して「おっ!いるなぁ〜!」「頑張ってくださいね〜」というような、何に対してだか分からない、しかし絶対的で素朴な歓喜があるのだ。
「赤ちゃんが可愛い」とか「鳥が好きなのでテンションが上がる」などの、同種に対する親近感や趣味とは関係なく、特に好きでも嫌いでもない草や、ゲゲッと思うような苦手な虫に対しても「存在肯定感」を抱く。
反存在主義的認識・エフィリズム的認識とは、ざっくりいうと「存在することは苦痛である」「誕生“させられてしまう”ことへの哀れみ」だ。ようするに、何も存在しない方が善いのである。しかしそれと同時に、目の前の存在に対する理屈抜きの存在承認や歓喜が起こるのだ。
これは完全に矛盾しているが、もう私は分かっている。矛盾があっても特におかしくはないのだ。エフィリズムなので存在歓喜は誤っているとか、素朴な直感が正しいはずなので反存在主義はオカシイなどと、無理やり「一貫性」を作る必要はない。単に、両方があるだけだ。
生まれてきてしまったものは仕方がない。運悪く生まれてきてしまったら、その中でなるべくマシになるしかない。お互いの悲劇を喜劇のように捉えながら、われわれはこれからも永遠に生滅し続けるのだ。