とくに才能がないことの感覚

自分が作った料理を主に食べるようになって、約6年になる。毎回作るわけではなく、週に4日夕飯を作るくらいの頻度だが、最近ようやく一つの目標値に達した。レシピを見なくても調味料の量が大まかにわかるようになってきたのだ。

実家にいた頃は「生協の焼くだけ調理キット」をやったり、サラダの盛り付け、味噌汁など簡単なものだけやっていたが、一人暮らしを始めてからは「ちょうど良い調味料の配合バランス」や「ちょうど良い焦げ目にする火力と時間の感覚」をつかむ戦いであった。最初の方に作った飯はかなり不味かったが、今は十分うまいものが作れるようになった。

何年もかけてようやく「まあまあレベル」になったが、料理をしていて楽しいとか癒される的な感覚は特にないし、手の込んだ料理は未だに面倒くさくてやる気にならない。慣れない料理はかなり脳が疲れるのだ。

これらの感覚は「とくに料理の才能がない」を表していると思う。壊滅的でもないが、得意でもない。やや苦手〜ふつうレベルの行動なんだと思う。

壊滅的に才能がないのは、2パターンある。まず元々の身体の性質によるもの。

  • 体育の授業を人一倍真面目にやっても全く筋肉がつかず、筋力で負ける
  • 方向感覚がゼロ。地図を回転させながら何分も考えても間違える。ストリートビューを見ればわかる

次に、精神的なやる気が出なかったり、感受できなかったり、しんどいと感じたりするもの。

  • ムラ社会や女社会などのコミュニティでうまく立ち回る、対人コミュニケーション
  • 場の空気に合わせてパッパと判断してすぐ動くこと

これらの「明らかに才能が無さすぎるもの」に対しての感覚と、料理などの「とくに才能はない、普通なもの」への感覚は異なる。あまりに才能が無さすぎるものは、視点や方法を根本的に変えないとどうにもならない(一般論的な方法では再現できない)。しかし普通レベルなら、他の人と同じ方法でも時間をかければできるようになる。

逆に、得意で才能があることとは「勝手にスルスルやること」「一般論を読めば比較的短時間で再現できること」なのだろう。私の場合、哲学的思考とか絵を描くとかがそれにあたる。

対人コミュニケーションは「最低限に持っていく努力」で精一杯であり、料理では「慣れないレシピを作るのは脳が疲れる」と渋るのに対し、絵を描く時は毎回新要素を入れようとするし、哲学的思考も常に新しいアイデアを探している。

このように見ると、得意かどうかで使用する脳のリソースが全く違うことがわかる。やはり、得意なことをやる方が効率が良い。ただ、この感覚を段階として掴むためには「壊滅的に下手」と「得意」の中間である「普通」が必要だった。料理は私に「とくに才能がない、普通なことの感覚」を教えてくれたのである。