性別・運命・輪廻

バイト中に面白いことを思いついたのでメモがてら。

世の中の生物は、大きく分けて雄と雌で分けられる。ここではヒトに焦点を絞る。

なぜ私は女性の体(でありながら、精神は違う)に生まれてきたのか?また、なぜ全体的に異性愛者が多いのか?

以下、夢見がちな思いつきです。

1・ヒトには、(確認はできないことだが、一応感覚として)「精神」とか「魂」「心」と表される存在がある。

この魂を、体の中に入っているがその体が滅ぶと別の一生に輪廻していくものとする。今の自分は日本の誰々さんだけど、前世はアメリカのケビンとか、フィンランドのヤンネだったかもしれない。

2・「運命の人」という言葉がある。これを「ある」とする。その定義を、魂を高め合う二人…現世の人間体で互いに影響を及ぼし、成長を促し合う魂同士“ソウルメイト”とする。つまり体は死んでも魂は死なずに続くこと(1)が前提。

3・ヒトは生物であり、生物は生殖をして増えることができる。また、それは生きる目的だったり、喜びだったりすることがある。

不自由なことに、雌雄のペアでないと自然な生殖はできないことになっている。ここは理由付けを諦めるとします(情けないが。そのうち閃くといいね)。

仮に「運命の人」と結ばれた場合、子孫を残す、そのためには、その二人が雌雄ペアである必要がある。

同性愛者などについては後述で補足するとして、ひとまず仮の結論がこれ↓

「我々の性別は、運命の人と子孫を残すために決定されている」

相当乱暴な言い方しました。私の考えではない文です。ここから補足して、この文を完成体にします。

補足1 セクシャルマイノリティの試練

同性愛者、性同一性障害者、他にもあるかもしれないが、毎日「男と女の云々」と聞かされ はぁ と思ってる人々

生物の目的を「子孫を残す」ただ一つとすると、セクマイは不自然であって、なんで存在するのか分かりません…しかし、そんな目的は、大いなる存在から明示などされていない。仮に、生きるとは「魂の修練」とすれば、セクマイはあえてこういう環境に、こういう風に生まれてきた“修行者”と捉えられる。前世で同性愛者にひどいことをした償いか?とても向上心のある魂が自ら選んだか?…とにかく、試練ってことにしとこう。

全体に異性愛者が多いのは、運命の人とスムーズにマッチし、最も近くで影響を受け合う関係になる確率を上げる為ではないか。その点で、社会的にマイノリティなセクマイは、ソウルメイトとより強い繋がりを試されている。

補足2 人生の難易度調整

これ、全ての人に適切な難易度が設定されてるかというと、そうでもなさそうだけどね。

必ず子孫を残さなければならないということはない。残したくても難しい人もいるし、周りがいくら勧めても信念で残さんという人もいる。子孫を残しても残さなくても、それぞれ難易度はある面で上がるし、ある面では下がるだろう。

たとえば運命の人とそこの考えが合わないとしたら、難易度は高くなる。補足1にかぶるが、運命の魂が同性に生まれてたら自然生殖はできない。性同一性障害だったら、体が異性の場合でも精神的に難しいかもしれない。まず、運命の人と結ばれないかもしれない。こういう所での、運命の二人による人生の難易度調整、そこから成長する魂…これも、魂の意思でそうしたのか、何かの償いなのか、単に輪廻回数で積み重ねられるものなのか、など。

補足を踏まえて、さっきの変な文を完成体にしますと、

「我々の現世での(心身それぞれの)性別(また、性指向)は、運命の魂との約束や、魂を成長させるための人生難易度によって決定されている」

冒頭の、なぜ私は女体に生まれたのか?の答えは、今はまだわからない。我が魂を高めるために決まったことなのだろう。死んだ後に、天国的な「魂の待機場所」でソウルメイトに再会して、いやぁ大変な人生だった勉強になった、またよろしく、と言えますように。

ついでに。造語だが、「魂レベル」というようなのが、あるんじゃないかと思っている。それは、後から生まれた人間の方が、高い。才能努力とか、優秀下劣品性が云々といった、優劣を測る話ではなく、ただ生まれが遅い…言い換えると、輪廻回数が多い魂の方が単純に経験を積んでるからレベル高い、ということ。

そう思う理由はただ一つではないけど、世界史の勉強をしてると特にそう思わされたな。いま歴史を振り返ると、なんだこいつら?ふざけてる!ってなるでしょ。歴史から学んだだけでここまでマシな世界になったんだろうか?って

特に思想としては表明してないけど、私の感覚というか信条は…現世は魂の修練場で、魂は輪廻し成長していく…って感じなんだろうな。それと同時に「私は老いる、そして遠からぬうち簡単に死ぬ」と絶望もしている。少なくとも今は。