子供の頃は「忖度ゼロ論破」みたいなことばかりしていた私だが、20代で「社会との接続」を試み、その結果、日常生活に支障がないレベルにまで社会性を引き上げた。
元々の「合理性と正しさ(と私の楽しさ)しか考えない」ひどい土台に、「社会性・忖度」という重い宇宙服を着せているかのようだ。この宇宙服は、私も他者も守っている。これは間違いなく、私が後天的に獲得した「成果物」である。
しかし最近、この「社会性ロール」という宇宙服は想像以上に重くて、自分の役割を果たすにあたっての障害にもなっていると気付いた。
脳のメモリ使用割合
例えば最近、会議に出席して意見を求められる機会ができたのだが、普段夫と議論しているときのようなクリティカルな思考をなかなか提供できない。
自分が一番年下だから遠慮しているのかと思って、その組織の先輩に相談してみたら「周囲が年上だとか気にせず、意見を言っていいんだよ。そのために外部から呼んでるんだし。」と言ってもらった。その先輩は私くらいの歳の時に、上に楯突いてガンガン意見を言っていて、今は立派な役職がついている。
その相談をしているときも、どうも自分の歯切れの悪さ、年上の方々に悪口のような事を言ってはいけないと思うあまり、発言内容を口から出す前にエッジを丸めてコーティングしてからお出しするような、守りに入った・置きにいく態度に、我ながらうんざりであった。うんざりでも、そうしないといけないと思っていたのである。
また別の方向からいうと、最近デザインに使う写真を撮影しに行ったのだが、その撮影現場でちょっと強気にデザイナーならではの視点を提供(指摘や修正)してみたところ、クライアントにもカメラマンにも喜ばれた感じがあった。
前職のデザイン事務所では「とにかくクライアントに従う」「とにかく失礼がないように」みたいな方向性だったのだが、フリーランスだと上司はいないのでそのへんの態度も自由で、結果は自分に返ってくる。長期的には金銭で返ってくると良いが、とりあえずは「良い感じの雰囲気」としてすぐに返ってきたわけだ。会社員は周囲とうまくやらないといけないが、フリーランスに求められるのはより「尖ったパーツ」「プロとして言ってくれること」なのだろう。
そんなわけで、会議については文脈を理解していなかったことも原因ではあるが、頭が回らなくて成果につながらない理由は、クッション言葉の生成や発言のコーティングや笑顔作りで脳のメモリを半分ぐらい使っているからだと気付いた。宇宙服が重すぎるのだ。
そこで、その「社会的な振る舞い」に割いているメモリ使用割合を減らしていき(宇宙服ではなく警察の服くらいにして)、私本来の思考力=自分の強みを(ある程度)そのままお出しする方が、価値提供になって他者にとっても良いのでは?と思い始めているのだ。
どのように運用するか
現状、前職の後輩や友人に「怖いと思ったことはない」「ちゃんと共感してくれて、その上で意見を言ってくれる」と言われている。なので忖度ロールを多少減らしても、致命的なレベルまでは社会性は下がらないと思われる。
とはいえ「社会性:メモリ使用量0%」になれば、また「忖度ゼロ論破マン」になって確実に社会から追放されてしまうので、とりあえず現状が「思考5:社会性5」になっているところを「思考7:社会性3」くらいにまで下げてみようと思う。それ以上の比率にしていいかは、7:3でしばらく運用してから判断する。
今ではほぼ自動的に社会性ロール(クッション言葉、笑顔など)を実行できるのだが、自動なのは「やるという判断」だけであり、実行自体にはかなりメモリを使っている。なので実行頻度を下げるのではなく、強度を下げるのが良いと思う。例えば以下のように:
・笑顔でいる秒数を減らす
・笑顔を「頬全体を上げる→口角だけ上げる」にする
・受容的・へりくだり的な言葉を使う回数を減らす
メールやチャットの丁寧度は、コピペで実装できてメモリを殆ど食わないので維持がよいだろう。LINEの絵文字は「(とくに気が向かない限り)1つだけ必ず使う」などのルールにしても良いと思われる(これまでは気が向かなくても、やや精神的抵抗を感じながらもなるべく絵文字を入れていた)。
クッション言葉の方向性を置き換えるのも一考だろう。現状のクッション言葉は「これはあくまで私の感覚で、周囲の人はそう思わないかもしれない」「言い方が難しいですが…」的な、情緒面に寄せたものだが、これを論理的な方向性に置き換える:
・仮説レベルですが
・視点を変えると
・あえて率直な意見を申し上げますと
さらに言うと、対面でクッション言葉を言うときの言葉選びを「素」に近づけるのも良いかもしれない。
例①
擬態「皆さん色々と、それぞれの立場で悩まれている中でのことだと思いますが、別の視点で申し上げると…」
素「まぁ色々背景があるのでそれは良いんですが、私的には…」
例②
擬態「全体的にかなりいいと思います!ただ、ちょっと心配な点としては…」
素「概ねOKの認識です。で、懸念点としては…」
それから地味に疲れるのが、ぶっきらぼうな言い方をしてくる奴に対しても忖度してやることだ。認知資源が不平等なので、そういうやつには、もはや「忖度ゼロ論破マン」でいい可能性がある。
・・・そう意識してみると、もう、すぐに「思考7:社会性3」くらいにできる。社会性に割かれていたメモリが解放され、頭が回り始めるのを感じる。これでいいにちがいない!宇宙服を作り上げるのにはとても長い時間や労力がかかったのに、脱ぐのは本当に一瞬である。
とはいっても、これまでの経験が指に染み付いているので、丁寧な言い回しや無難な絵文字を打つという行動自体は、無意識にできるようになっている。何をどうすればマシになるのか、方向性すら想像がつかなかった子供の頃とは、まったく大違いだ。
人生の膨張と収縮
人生の最序盤は何もわからないことだらけで、ひたすらに知識をつけて経験を積んでいく。自分の中の材料やできることを増やし続ける、いわば「膨張」をし続ける時代だ。体も大きくなっていく。小学生くらいまでがこのフェーズだろう。
そこから進むと、自分の得意・苦手を認識して、得意な分野を伸ばしつつ、苦手なものの中で社会的にまずい部分の修正・補完をしていくフェーズが始まる。一般的には中学生〜社会人数年目くらいの課題だと思うが、私は少し遅くて、20代をこのフェーズでめいいっぱい使い切った感じになっている。調整要素が入りつつも、基本的には「できること」が増えていくばかりで、まだまだ膨張の時代だ。
その次に来るのが「どうしても苦手なこと」や「頑張れば一応できるけど、労力対効果が小さいこと」「得意分野を犠牲に差し出さないとできないこと」を、これまでの経験から判別して「無駄なものを捨てる・風呂敷を畳んでいく」フェーズなのだと思う。私は今、まさにこれをやろうとしているのだ。一般的には40代でやり始めるイメージなので、これは年齢よりも展開が早い。それか、30代でみんな部分的にやっているのだが自覚がないのかもしれない。
親ガチャに成功して発達課題をサポートされながら効率よくこなせたり、神恩師を引いて得意分野全振りルートに乗れたり、得意分野と苦手分野の凸凹が小さい人であれば、このような「風呂敷」を自覚することはないのかもしれない。しかしそれは「運」でしかない。私は真実を知りたいので、この風呂敷の存在を知覚できてよかった。
