人間至上主義とは
私は「反・人間至上主義」である。ここでいう人間至上主義とは、ヒトを(他の動植物とは別枠の)特別な存在として取り扱う態度のことだ。
SDGsなどの「地球・生物を人類の力で守ってあげなければ思想」がその代表である。一般的にはおそらく逆で「SDGsは反人間至上主義」だが、私に言わせると「SDGsは人間至上主義」である。あれは人間にとって住みやすい環境を守りたいだけであり、動植物に対する真心とは根本的に異なる。アリの巣やビーバーのダムは「自然」なのに、ヒトのビルは「人工物」で「自然破壊」だというような捉え方は、人間の思い上がりなのだ。
そしてその一方で、SDGsのような「人間至上主義的態度」を過剰に嫌悪することもまた、翻って人間至上主義的である。人間に対する「特別扱い」とは、ヒトカスが醜悪な存在だとして過剰なバッシングをする側面だけでなく、人は有能で美しい存在だと称揚する側面も含むのである。タワマンを建てようが核兵器を落とそうが、それは一生物種の自動的な営みに過ぎない。
本能は悪か?
地球から見たら、ヒトの活動で温暖化しようが台風が乱発しようが、全然問題ない。何十億年も前の原始地球は、マグマの海だったり酸素が無かったりしたが、そんな「大変な環境」で地球が苦しんでいた、などという主張は流石にオカルトである。むしろそんな風景とは、地球にとってタオルで包まれたように懐かしいものかもしれない。
ヒトにとって都合が良くて過ごしやすい、ヒトが見慣れていて美しいと感じやすい環境を「地球のあるべき姿」と勝手に定義して維持しようというのは、傲慢であるが、あくまでヒトの生存戦略(本能)である。素朴な本能なので悪ではない。しかし善でもなく、論理としても正しくない。
要するに私は、SDGs的な概念を正義とかヒトの義務と見なすのは理屈としては間違っているが、それらはヒトの生存戦略なので、そう言いたがるのは仕方のない事だ、と思っている。
「本能は善」という感覚が主流に近い気もするが、「悪」の定義を「苦痛の発生」とすれば、本能的行動が苦痛を引き起こすことは一般的なので、「本能は善」とは言い難い。同様に「善」の定義を「苦痛の除去」とすれば、本能的行動が苦痛の除去を引き起こすこともまた一般的である。よって「本能それ自体」は「一概に善とも悪ともいえない」が私の立場である。
ただし、本能的行動がもたらす「苦痛の除去」で除去する「苦痛」とは、本能が紐付く元である「生」がもたらした化学反応なので、自作自演のような構造になっている。「生」が無ければそもそも苦痛がないので、生は悪である。しかし、生まれてきた者には自動的に本能が一体化されてしまうので、生まれてきたが最後、本能に従ってしまう。そしてそこに一切の自由は無い。
私がエフィリズム的思想を持ちながら「子供は産むべきでない」などと他人に一切主張しないのは、上記の前提に則っているからだ。子を持ちたいという衝動も、別にいらないという感覚も、利己的な遺伝子にとって等価なのである。
感情伝播の対象か否か
以前の記事で述べたとおり、私には「感情伝播反応」が殆ど起こらない。
ふと「反・人間至上主義」と「感情伝播反応の無さ」は関連があるかもしれないと思って、配偶者に「人間以外の生物にも共感は起こるのか?」と聞いてみた。すると「基本的に動物や昆虫には感情の共感が起こらない。もしペットを飼ったら、その動物には起こるようになるかも」とのことだった。
私は部屋に虫が出たとき、なるべく外に逃がそうとする。やむを得ず殺すときは「すまない!」と言いながら苦しい気持ちで殺すし、殺した後しばらく「はぁ…」という感じになっている。
対して、配偶者は虫を殺すことにあまり抵抗がないようだ。殺さないまでも、捕まえてビニール袋に入れて、虫眼鏡で観察していたりする。それを見て私は「上位存在の気まぐれに命が握られ、気の毒なり」とか「自分が宇宙人に閉じ込められて観察されたら嫌じゃないか。もうそろそろ解放したれ」などと言う。
これは一見、私の方が「慈悲心が広くて優しい」ようにも見える。
しかし実際のところ、私には(ヒト間限定の)感情伝播反応が起こらないゆえに、ヒトを特別扱いする直感が薄く、相対的にヒト以外に優しくなっているのではないか?
私がブログ記事で人間について言及する際に「ヒト」と言いがちなのも、他の種族と並列扱いだからなのだろう。「大切な人と過ごす…」といった広告キャッチコピーに「なんで人間だけなんだろう?」と思ったこともある(無論、客単価の問題である……じゃないの?)。人間に向ける「理解や共感」の方法が、動植物や昆虫への方法とさして変わらないので、相手がヒトでも動植物や昆虫でも、同等な感情で扱っているのかもしれない。
もちろん、言語を介して複雑なコミュニケーションができるのは人間だけであるし、私の人生において最も重要な存在たちは、ヒトの割合が非常に高い。親友、配偶者、影響を受けたアーティストなどは皆、人間である。ただ、今しがた「重要な“存在”たちは…」と無意識に書いたのが肝である。おそらくここは殆どの場合「重要な人物・影響を受けた人物」など、人間限定の表現が一般的だと思われる。しかし私はそうなっておらず、事実、飼っていた文鳥がそのグループに含まれているし、人生で唯一の後悔は、子供の頃飼っていた金魚やハムスターに良い飼育をしてやれなかったことだ。
私の場合「自分より弱い者を守るべきだ」という倫理心はありながらも、どの生物からも直接的な感情伝播反応が来ないので、自分よりも強い者が多い(私はヒョロガリ女である)ヒトに対しては、そこまで慮る気が起きないのかもしれない。どの生物からも感情伝播がないために、極めてフラットにヒトという生物種を見ているのだろう。
