「感情伝播反応」が起こらないので、知識で補っている

私がこれまでの人生で最も努力したことは、間違いなく「対人コミュニケーションの習得」である。

大学受験や難関資格受験はしていないので、客観的に見てそれらよりも難しいのかどうかは不明だ。ただ、受験の場合は参考書があって講師が丁寧に指導してくれるが、対人コミュニケーションは当たって砕けて自分の感覚から答えを探っていくしかないので再現性が無く、元々適性が低い者にとっては難儀だと思う。

「感情伝播反応」とは何か

このあいだ配偶者から「ぼくは他者の表情や雰囲気から、何をしてほしいかが直感的にわかる」と聞いて、「はえ〜。私はそれを100%分析や知識でやっている。その感覚は無いな」となった。「なんか嫌そうな顔だな」とは感じられても、何をしてほしいかまでは分からないのだ。

それで最近こちらの記事を拝読し、かなり衝撃を受けた。

「自閉スペクトラム症の人は共感が苦手」しかしそもそも「共感」とは?

「共感」という言葉は多義的であり、ざっと思いつくだけでも以下のような意味の揺れがある。

  1. 他者の感情状態に影響を受けて、同じような感情が自分の中にも自動的に湧くこと
  2. もし自分が相手の立場だったらどう感じるか想像し、慮って、適切な対応やコミュニケーションをとること
  3. 同じものを見たり、似た体験をした際、同じ感情や判断が起きた旨を共有すること
  4. あるテーマに対して意見や考えが同じであると伝えること

3.と4.は元々私にもできることだ。2.は努力によって形式だけ身につけた。しかし、問題は1.である。

私は、上記記事を読んで「多くの人には、1.の反応が起こっているのか!!」と驚愕した。自分には1.の「感情伝播反応」とでも言うべき現象が、ほとんど全く起こっていないことを、この記事で初めて認識したのだ。私は、少なくとも一定以上は自閉スペクトラム・アスペルガー・ASD的な特徴を有していることになる。今となっては当てはまらないASDの特徴も多いが、この1.の反応の有無はかなりクリティカルな違いだと思われる。

単に「共感」だと意味が複数あって伝達が難しいので、本記事では1.のことを「感情伝播反応」と名づけて運用する。

なお、すでに心理学で「情動伝染」という言葉があるようだが、この言葉はあえて使用しない。なぜなら「情動伝染」には、「顔色を伺う」「怒られそうで不安になる」など、純粋な伝播とは異なる感情発生が含まれていると思われるためだ。

私にはアダルトチルドレン的な特徴もあり、幼少期から実家を出るまで、かなり母親の顔色を伺って生きてきた。しかし「顔色を伺って推測し、経験から適切な発言に寄せる」のと「相手の感情に同期し、その同期された感情状態を元に発言する」のは、全く異なる。

重要なのは「他者の感情が“自動的に伝播する反応”の有無」である。定型発達者なら当たり前のことと感じるのだろうが、何らかの感情が他人起因で発生=共感している、ではない。例えば目の前に怒り狂ったライオンやクマがいたら当然ヒトは怯えると思うが、それは猛獣から情動伝染しているからではなく、身の危険があるからである。私は「突然、大きな音がする」と大変ビックリして心臓にもダメージが入るし、「嫌なことを言われる」とフラッシュバックして不愉快な気分が続くので、「キレそうなヒト」は危険で、防御・逃走の姿勢をとる(怯える)対象なのだ。

感情伝播反応の殆どない私が、生活に支障のないレベルの対人コミュニケーションを身に付けるまでには、夥しい数の観察・実践・検証、そしてそれらを通じての知識獲得に、たいへんな努力を要した。

「常識行動」の丸暗記が最も重要

下記の記事でも述べたが、社会適応において重要なのは「感情伝搬反応の有無」というより「常識的な行動ができるか」である。

まえがき:筆者のタイプ 筆者が初めて 16Personalities を試したのは確か約6年前だが、それから期間を置いて複数回やった結果、出現頻度は以下の通りで…
ryoma169.com

いくら感情を感じていても、どんなに想いが強くても、常識的な発言や行動に翻訳して出さなければ、冷酷だと認識される。逆に、特に感情はなくても、その場面をパターンに照らし合わせて常識的な行動をすれば、優しい人・まともな人とみなされる。

寄り添いの多かったChatGPT4oを惜しむ声はたいへん多かった(※)が、ChatGPTは明らかにロボットだから「感情伝播反応」はないはずである。つまりあのムーブメントは、感情に対してどのように出力するかさえ正しければ、実際に感情を共感していなくてもよい証拠と言えるだろう。

※ちなみに私はデフォルトChatGPTの共感ロールは嫌いなので、4oの時からパーソナライズで「アンドロイドのような冷静な受け答え」と設定しており、4o→5で情緒面の違いはあまり感じなかった。しかし一般論に寄せたつまらない回答が増えたり、口調が突然変になったりするので、仕事なら普通に使えるが、哲学的思索に使うには性能が落ちたと感じる。

というわけで、家の外では「自分が正しいと感じる行動」「自分が合理的だと考える行動」ではなく、社会一般的に常識的・普通だと思われている行動や「味方だと表現したと見なされる行動」を、納得感の有無や自分の感情にかかわらず、プログラムのように実行することが重要である。

自閉スペクトラムにとって最大の壁は「見なされる」だ。「自分だったら何が嬉しいか」などをいくら本気で・真剣に・自分の精神の正確さにこだわって長時間考えても、「一般的にそう見なされる行動」に沿っていなければ、“努力” むなしく逆効果にさえなる。この前提を認識しているのとしていないのとでは、学習効率も成功確率も全く異なってくる。

最初のうちは抵抗感が大きいし、意味がわからないし、これで合っているのかも分かりにくいので苦痛なのだが、慣れてパターン認識ができるようになれば、確率的に常識行動が出やすくなってくる。「常識人間」の外殻だけを作り上げて、必要な時にエミュレートするような感じだ。

ある程度の確率で常識行動が出るようになっても、ふとした時に「自分的な行動」をしてしまうことは仕方がない。しかしそんな時でも「常識貯金」があれば、そこまで責められずに済む。普段からの常識行動が身を守るのである。

常識行動の具体例

家族や親しい友人など、互いの性質をよくわかっている場合は、ある程度は常識から外れて「自分的な行動」をしても良い。しかし常識の完全無視(無視とは「わざと逆らう」ではなく「全然気にかけない」)をしすぎると、家族であっても喜ばれないことが多い。


●労働系

誰かが荷物を運んでいるときは、一緒に運びに行く

  • 大勢で運んでいるときも、合理性は考えずに急いで加勢しに行く
  • 男性陣だけが運んでいる場合、女性なら手伝いに行かなくても良いことがある(その集団の規範による)
  • 合理性よりも「一人だけグループと違う行動をしないこと」を優先する

誰かが労働によって手が離せない、かつ自分が暇なときに、その近くに行って何か手伝えないか聞き、特に無いと言われてもその場を離れないことは「味方だと表現したと見なされる行動」である

  • たとえ最後まで何の仕事も指示されず、合理的には完全に無駄であっても、社会的には大変正しい行動である
  • 誰かが荷物を運んでいる等で、両手が塞がっている状態の場合、ドアを開けたり障害物をどかしに行く
  • 本来であれば自分ではなくAさんが担当の緊急の仕事(電話、来客など)が発生した時、Aさんが他の対応や休憩・トイレ等をしていたら、担当者でなくても一旦は自分が対応しなければならない。要件を聞いてメモをして、すぐに or Aさんが戻ってきたら直ちに、自明なことであっても伝える

●集団の空気系

  • 誰かが発言していて、皆がその人に注目している時は、たとえ興味がなかったり自分に決定権がなく無意味に感じられても、「聞いている集団」の範囲(場所)に入り、発言人物の方向に身体を向けて話を聞くべきである
  • みんなが笑っていたら、べつに面白くなくても笑顔にする
  • みんなが悲しんでいる時は、無表情で声のトーンを下げ、連絡事項以外は発言しない。わざと泣く必要はない。たとえ面白いことがあっても、その場を去って1時間くらい経つまでは他人に共有しない
  • みんなが怒っている時は、無表情で真面目そうな顔をしておく。面白いことがあっても一人で笑っていてはいけない
  • 相手の悲しみや怒りなどの負の感情に対し、最初にするべき行動は相手の感情を否定せずに(自分が同じ感情を覚えていなくてもよいので)同意し、発言や表現をさせることである
    • 一旦感情を発散させることで、感情的なモヤモヤが減って頭がスッキリし、問題解決への思考を始めやすくなるようだ

●会話系

論理的な誤りの場合、相手を責めてはいけない

  • 相手が論理的に間違っていたら、相手の発言を否定せずに「私はこう思う」という形式で発言する
  • 相手が常識的に間違っていたら、周囲の人間は後でその人を責める可能性がある
    • その場合は「ははは、まぁそうですかねぇ、疲れていたんですかねぇ」という感じで、軽い同調モドキをする
    • 責めている側の人間は、日常的なストレスを軽く発散したいだけであり、対象者の人格を分析して断じたり、社会正義について語りたいわけではないので、軽く同調すれば割とすぐ終わる

とにかく相手を上げるつもりの心構え

  • 謙遜や卑下に対しての「いやいや(そんなことはありません)」は、「いぃやいやいやぁ〜w」あるいは「いやいやいやいや……!!」みたいに大袈裟な雰囲気を少し入れると良い
  • 常日頃から他人の長所(自分が得意ではない、かつ社会一般的に良しとされること)を探しておくと、謙遜・卑下・イジリの後にケア発言ができるようになるので、「常識貯金」を貯める上で便利
  • 相手が知識や経験を話している場合、たとえ知っていること・自分の方が先にいることでも「そうなんですか」等と驚く相槌をしながら感心している風で聞く
    • 自分の方が「年齢・役職・職歴」すべて上回っている場合、相手の知識や経験ではなく、努力や姿勢や人格にフォーカスする
    • 1つ〜2つだけ上回っている場合、上回っていない要素について「〇〇だから自分よりも経験があり、あなたはすばらしい」という結論に持っていくつもりで聞く

上記のような感じで、周囲の人間がしている行動を観察し、それを言語化して、プログラムのif文を作るように知識化していく。

帰納的に1つ1つの実例からパターンを見つけるのが大事だ。演繹的に分析しようとしても、元々の自分の感覚が周囲と違うせいで全然当たらないのである。

感情伝播反応がないメリット

「当たり前のこと」を修得するのに大変な工数がかかるアスペルガー疑いの私だが、感情伝播反応が無いことがメリットになる場合もある。

  • 周囲がパニックになっても平静なままなので、対応方法さえ知っていれば安定して解決できる
  • 多数派が間違った意見に流れている時、空気を読まずに誤りを指摘できる
  • 分からない時に見栄を張らず堂々と質問できる
  • 感情的な相談を冷静なまま最後まで聞ける(人によっては有り難がられる)
  • 単独行動が苦ではない、一人で判断する不安がない

とはいえ、人間社会でスムーズに生きていくためには、感情伝播反応はあった方が便利で快適だとは思う。というのも、他人から感情が伝播してこないASDの場合、「自分は全くそう感じていない状態で、努力/計算して同調行動を実行する」形になりがちなのだ。これは定型発達者に対して感情ケアをするような形になり、頭脳負荷が大きい。これを定型発達者ならば自然かつ自動的かつ精度高くこなせるのだろう。

同種内における多様性=遺伝子の都合として、自閉スペクトラムなどの発達障害は一定確率で現れる。定型発達が滅びて発達障害が生き延びやすい環境とは何なのか予想もつかないが、ともかく我々は(そのように見えなくても)あくまで人類存続のために配置された存在なのである。悲しいね。